ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

テレワーク

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先日会議で「働き方改革でテレワークの導入が進んでいるが、当社はどうなんだ?」といった話題が出た。

 

立場上テレワーク推進関連のセミナーや研修にはよく参加する。社内でも自分なりにテレワークに必要な機器やネットワーク環境の導入に積極的にトライし、昨年末にモバイルワークに十分に耐える社内環境を構築することが出来た。

ここまでなら正直いって誰にでもできるし、別に特別な知識や機器が必要になる事も無い。

 

問題はここからだ。

 

テレワークのおさらい

 

テレワーク導入の推進は総務省厚労省国交省経産省の4省が連携を取って普及を促進しており、その目的は労働者側の”多様な働き方”に企業が応え、場所や時間を選ばず就労できる環境を構築し、労働参加率を高めると共に労働生産性を向上させるためである。

少子化と人口減少に伴う労働人口の減少、それに伴う我が国の市場規模の縮小を抑制する為、「働いていない人」「働くことが出来ない人」にも様々な【働ける環境】を提供する事で国民の総所得を上げ、「成長と分配の好循環モデル」の実現に資する。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/pdf/plan3.pdf#page=1

(ニッポン一億層活躍プラン - 平成28年6月2日 閣議決定

また我々労働者にとっては、出社時間等の労働準備に係る時間を省略、個人あたりの労働生産性が向上し、結果として時間外労働が減少する事しでWBLが充実するというメリットがあり、企業には人件費の節約といった効果も期待できる。

 

導入には特別な機器や多額の設備投資を要せず、企業側で「多様な働き方」を容認し得る規定を整備(これが何より一番大変)すれば、国も企業も労働者も”三方良し”。

 

 働き方改革を推進する中では非常に重要なテーマ、それが「テレワーク」である。

 

しかしながら…

「会社に出社しなくて良ければ、あるいは所定労働時間や長時間労働絶対という設定がなければ全員働けるでしょ?家で空いてる暇な時間を仕事に回せるし。」

といった軽薄な考えが透けて見えそうなテレワークの導入奨励には、自分自身迎合出来なくなりつつある(と言うか元々そんなに肯定的ではなかった)。

 

確かに一部の人はテレワーク環境を利用して労働に参加出来ている。

本来なら休職せざるを得ない場合でも、テレワーク環境が整っているから働けている人達もいる。

何もしなければ…例えばテレワークという働き方を認めなければ、その一部の人たちも労働に参加できなかった可能性があるので、テレワークという考え方を全く意味のないものとして批判したいわけでは無い。便利になるのは良い事だ。

 

一体何に「ちょっと待て」信号が灯っているのか…それは、一般企業を対象としたテレワーク関連の研修やセミナーでは必ず「子育て」「介護」をしながら働く労働者の話が出てくるからだ。

 

今、テレワーク導入で解決できる問題の限界

 

仮に労働参加率の向上を目的としてテレワーク環境を導入するとして、果たして「子育て」「介護」をしながら、どれだけの人が労働に参加出来るのだろうか?

 

昨年、第二児を出産されて育児休業を取られていた女性従業員が退職された。

ウチには時短勤務制度もあるが、それでも退職される理由は下記の通り。

  • 最初の子供は発達障害で、起きている間は常に目が離せない
  • 2人目の子供は保育園が見つかっていない
  • 旦那は海外に転勤しているので、子育ては1人でしなければならない
  • 休職するにしても、どれだけ休めばよいか目途が立たない
  • 自宅で働く?今はそんな時間の余裕は無い

 

今年、60台後半である母親が重い病気に罹ると同時にメンタルヘルス不調となり、その為に退職する予定のスタッフがいる。

退職の理由は下記の通り。

  • 母一人子一人の家庭である
  • 母の病気の面倒は全て私が診ないといけない
  • メンタルヘルス不調による予測できない行動のせいで目が離せない
  • 色々心配で仕事が手につかない
  • 今は仕事が終わって自宅に帰るのも苦痛
  • 自宅で働く?今はそんな時間と精神的余裕は無い

 

育児や介護をされている人達の状況は様々で、個別に日常生活に於ける活動時間や条件が異なる。例え会社に出社せず、所定労働時間を気にせず働ける環境が整っていても、そもそも「働ける状態」でない人は「働けない」のが実情ではないだろうか。

こういった課題は「育児休業」や「介護休業」、ましてや「テレワーク」では解決できない。特に介護に関する課題は終わりが見えない。

上記の例で言えば、母親は障害者でもなければ要介護者でも無いので、公的支援すら及ばない。

 

テレワークといった働き方自体の課題

 

マクロ的には、会社設備や土地等資源の利用を前提とした職務にはそもそもテレワークといった選択肢が無い。

(販売・保安・農林水産・生産工程・輸送/機械運転・建設/採掘・清掃/包装従事者の総数3,120万人 = 労働者全体の約47%)

兼業者や複数の事業所を監督するマネージャー、業務の一部を機械化する事も考えられるので、上記の全ての労働者がテレワークの恩恵に預かることが出来ないわけではないが、乱暴に言うと世の中の半分近くの労働者はテレワーク自体関係ないという事になる。

 

ミクロ的には、特に在宅勤務する場合にテレワーク環境が必要とされるが、家に居ながら提供できる労務にどのくらいの付加価値があるか、それをどう評価して給与を決めるか、といった難しい問題がある。

労基法でも労務の提供基準は「時間」を原則として法律が構成されている。昭和22年から我が国では「時間単位」で労務を提供する事が前提になっており、そのまま現在に至っている。

欧米のように職務や付加価値に対して報酬を支払うといった土壌が育っていないまま在宅勤務できる環境で働かせるのはナンセンスではないのか。

【家で何時間働いているかを見張るシステム】程馬鹿らしいものは無い。

 

また、大企業ならいざ知らず、中小企業では1人が何役もこなしながら業務を遂行している。会社の規模が小さい程、従業員は多能工でないと経営が成り立たない。私生活上で育児や介護等に時間をかけなければならない状態では遂行できる職務の範囲が狭くなり、こなせる役割も少なくなる。

この状態で雇用を継続すると経営に負担がかかるだろうし、多能工でシャニムに働く他の従業員も在宅勤務を選択して特定の業務しかしない従業員には理解を示さないだろう。

待遇に差をつけるという方法になるだろうが、それでは当の労働者の生活の安定が損なわれ、互いに納得が得られなければ労働紛争に発展しかねない。

 

結局テレワークで救われる人とは、時間に囚われず付加価値の高い労働力を提供できる一部の人間であり、またそういったキャリアを積んだ人達だけではないだろうか。

 

「働く事」改革

 

2017年における国内全体のテレワーク導入企業の割合は4.7%と推計されている。

統計上、テレワークを導入する企業は大企業を中心に増えている。

企業は「働きやすい環境」を整える事で労働者を獲得し続けなければ、いずれ消滅してしまう。よって企業は自身の存続のために労働環境に投資をするが、これは決して労働者の生活を守るためではない

我々労働者は自身の責任に於いて与えられた環境を利用し、自分の能力や時間をお金に変えていかなければならない。

環境に適応し、利用するのも大事な「社会人としてのスキル」なのだ。

 

テレワーク一つを取っても、メリットを享受できる者は、今はほんの一握りだ。

もし、これから自分に「介護(もしかしたら育児)」を行う時期が到来した時、「働ける環境」を活用できる能力がなければ労働力をお金に変えることが出来なくなる。

「労働時間」で自分の給与を査定される事”のみ”を良しとしているうちは、これから訪れるであろう「超高齢化」「人口減少」といった大きな課題を抱える社会の中で胸張って生きていく事も難しくなるのではないか…。

 

我々労働者に必要なのは、行政や企業の労働環境改革ではなく、「働く」という事の価値を見直して「自分には何が出来るのか」という事を深く追及し、必要であれば仕事以外で経験や知識を蓄えておくことではないだろうか。

 

テレワークで働いても、労働時間基準ではなく「アウトプット」基準でしっかり報酬が取れるように、これからも自分を磨いていこうと思う。