ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

八百八橋

今回は3,000文字チャレンジに初めてトライします。

 

テーマは「橋」。

 

その昔、大阪は「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで「八百八橋」と呼ばれていたそうです。

しかし当時江戸には350もの橋があったのに対して大阪には200足らず…。なぜ大阪は「八百八橋」なのでしょうか?

答えは”誰が橋を架けたのか”にあります。

江戸の橋は、約350ある橋の半分が公儀橋と呼ばれる幕府が架けた橋でした。

一方の大阪では、公儀橋は「天神橋」「高麗橋」などのわずかに12橋。残りの橋は、全て町人が生活や商売のために架けた「町橋」でした。町橋に対する幕府からの援助はなく、町人たちは自腹を切って橋を架けました。
自腹を切ってでも橋を架けた町人たちのこの勢いが、「浪華の八百八橋」と呼ばれる所以だそうです。(国交省近畿地方整備局より)

なるほど大阪商人。「お上はアテならん。自分らの事は自分らでせなアカン。」といった商人気質が伺えます。

 

私は九州生まれですが、現在大阪に住んでおります。妻は大阪生まれの大阪育ち、生粋の大阪人。私自身もかれこれ25年の大阪生活になりますが、この先大阪を離れる予定はありません。なぜなら私はこの大阪が鬼のように好きだから。

 

特徴的な我らが大阪の文化や風土はテレビ等でよく紹介されております。中でも「厚かましくてうるさい豹ガラのオバチャン」や、「ボケとツッコミがなければ会話が成立しない」「たこ焼き屋が異常に多い」といった所はご存じの方も多いと思います。実際その通りです。高齢なマダムの猛獣率はかなり高いです。

マイナスイメージを持たれている方も多いのでは?

大阪人のイメージと言えば「声が無駄に大きい」「言葉遣いが汚い」「馴れ馴れしい」…等々悪いイメージを挙げればキリがありません。

犯罪件数を例にとってみても、人口1000人中の刑法犯認知率は47都道府県で1位。「殺人・強盗・放火」という凶悪犯においても、いずれも1位と不名誉にも三冠王を達成しています。

そんな大阪が何故これほどまでに好きなのか…。

他府県に転勤を命じられたら迷わず退職を選ぶであろう程、この先独立して事務所を構えるようになったら絶対大阪に作ろうと思う程、大阪という土地を何故これ程までに好きなのか…。

 

答えは「笑いの文化」が深く深く根付いているからに他なりません。

 

 

例えば先日の幹部会議にて。

経営層の厳しい意見や叱咤、指示が飛び交う幹部会議では、我々従業員は戦々恐々としながら会議に挑みます。

そんな重苦しい空気の中、笑いで空気を変えるのは決まって「大阪の営業部長」です。

「何でこんな数字になるんや!言うてた事と違うやないか!説明してみぃ!」

経営層の”厳しい”詰め”に対して、説明する者は毎回しどろもどろです。そんな重い空気を大阪の営業部長は「笑い」で払拭します。自分の会話中に「ボケ」を放り込み、周囲を笑わせます。

「こんな場合に何ふざけとんや!」とは当社ではなりません。

(※時と場合によっては逆鱗に触れます)

笑いによりそれまでの重い雰囲気は一蹴され、参加者がフラットな思考に戻るからです。

厳しい叱咤や指導の後は発言が極端に少なくなり、建設的な意見は出なくなります。そんな状態を笑いで一旦元に戻します。そうすると、その後は怒られたりした事実が無かったかのように会議が進行出来るのです。

 

先月、私の事務所内で。

業務の些細な行き違いで、激しい言い争いに発展した2人の従業員がいました。ひとしきり罵り合った後、一方の従業員からポロリと涙が。すると片方が空かさず、

「あんた…目から鼻水出てるで。」

「目から出てたら鼻水違うやろ!」

この一瞬の典型的な「ボケとツッコミ」で怒り心頭だった両人の険悪な空気は一気に砕け、怒声が笑い声に変わりました。

言い争いを見守っていた周囲の人たちも笑いに参加し、あっという間に部屋全体が和やかな雰囲気に変わりました。

その後はお互いに言い過ぎた事を謝罪、反省点を互いに出して行き違いを改善する話し合いへと変わったのです。

 

上記は典型的な例ではありますが、大阪では大体こんな感じです。笑わせた者が勝者です。若しくは笑った者が勝者です。ここに複雑なルールはありません。立場の上下があろうが関係ありません。

「笑い」の前で我々は平等であり、「笑い」によって我々は繋がれているのです。

 

だからこそ。

 

関西ー特に大阪では「笑い」を重要視します。笑いは我々の重要なコミュニケーションツールなのです。口下手で無口な私でさえ、少ない会話の中でも笑わせる努力は惜しみません。

部下との面談や打ち合わせ、顧客や関係者との商談はたまた子供に説教する場合に於いても、会話の終端(オチ)までの構成を考え、緩急をつけ、ここぞというタイミングでボケを放り込み、相手のツッコミを処理し、最後は笑って会話を終わらせるよう工夫します。相手のボケに対しても寛大な気持ちで、何なら自己増幅して笑うようにします。

 それに、関西人は会話の中で「ボケといツッコミ」を強要しているワケではありません。研究しているのです。

どうしたらこの会話はもっと面白くなるのか、自分ならどのように面白くして他人に伝えるか、どの部分を強調し、オチをどのようにつけたら盛大な笑いがとれるか、といった話の構成を考え、笑いの度合いを見積もっているダケなのです。

声が無駄に大きく聞こえるのも「笑い」の為です。自信無さそうに小声で話をするよりも、声を張って明るく話した方が「面白い」話になりそうな気がしませんか?

 

大阪に観光や出張に来た際は、是非一度試してほしい事があります。

人の集まる場所、例えばショッピングセンターや飲食店、電車内では、耳を澄ませて周囲の声を聴き、観察してみて下さい。いかに会話と笑い声が多いか、という事を体験できます。

決して上品な方言ではありませんが、みな活き活きと会話を楽しみ、遠慮なく笑っている姿をそこかしこに見る事が出来るハズです。それらは如何なく普段培っている「お笑いスキル」を発揮し倒している大阪の生の姿なのです。

 

社会に出て集団生活を行う上では、辛い、悲しい、腹立たしいといった事や、許せない出来事、理不尽な対応等々…人間関係や周囲の状況で発生するネガティブは容赦なく襲ってきます。そんな中我々は「お笑い」の技術を生活や会話の中にブッ込み、辛い状況を一旦キャンセルします。私はこれを「お笑いによるキャンセル(笑キャン)」と呼んでいます。

笑キャンによりネガティブ思考を払拭する事が簡単に、しかも瞬時に可能となるのです。自分1人でボケ→ツッコミ→笑いにつなげる事が出来れば笑キャン上級者です(見た目ヤバい人ですが)。

会社の中でも家庭の中でも、我々は笑いの修業を欠かすことはありません。

特別に誰かに教育されずとも、大阪人は自然と笑いによるコミュニケーション術を身に付けながら成長していきます。なぜなら我々は経験として、そして文化として「お笑い」の便利さと機能を知っているからです。

この土壌の有難味を知ってしまった、体験してしまった今となっては、もう大阪を離れる事は出来ません。高度なスキルで私を笑わせてくれる、又は私の言葉で笑ってくれる同僚や上司、仲間のいない土地で生活するなんて…恐怖でしかありません。

 

そんなお笑いを大事にする我々大阪人は共に笑い、繋がって、支えあう事で辛い出来事に立ち向かい、不便を便利に、不幸を幸せにする事で大阪という町を作り上げてきました。

「お笑い」こそ我々をつなぐ「橋」であり、故に「八百八橋」は今も笑いが絶えないのです。