ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

就職氷河期世代の問題(1)

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 私はとある中小企業でスタッフ部門の管理職として勤務している40代半ば、俗に言う就職氷河期世代だ。ロストジェネレーション世代ともいわれ、バブル崩壊後の失われた20年のうち特に雇用状況のひどい約10年間に就職活動をした世代だと言われている。

平成30年度の有効求人倍率は1.61倍(前年より3.1ポイント上昇)だが、氷河期真只中の1999年度有効求人倍率は0.48倍と、当時の就職難は如何ほどであったかは想像に難くないだろう。

私自身も多分に漏れず就職先を探すのに随分難儀をした。社会人一年生を華々しく飾った職場は某新聞の拡張員だった。

(後に知る事となるが、雇用形態は業務委託であり社会保険は勿論なく、法律上労働者ですら無かった)

今でこそ暖かい社内でデスクワークに勤しみ、管理職として部下を預かる身にもなれたが、ここに至る迄に数社渡り歩き、その都度凄惨且つ圧迫的な面接と今で言う所のパワハラを経験している。

 

昨今、我々就職氷河期世代にスポットが当たりつつある。話題の発端は「中高年齢層のひきこもり増加」と「80-50問題」だ。

 

氷河期世代は雇用環境が厳しい1993年(平成5年)頃から2005年(平成17年)頃に就職活動を行った結果、希望する就職ができず、現在も不本意ながら不安定な仕事に就いている、若しくは無業の状態にある等様々な課題に直面している者が多いとされる、現在30 代後半から 40 代の者の事だ。

政府は支援策として不安定な仕事、つまり非正規雇用の者と無就労者に対して重点的に雇用促進を図るプログラムの展開を予定している。具体的にはハローワークでの専門相談窓口の開設やリカレント教育の拡充を図る為の職業訓練受講給付金の給付対象拡大等だ。また、この施策は「8050」問題及び「ひきこもり層」への具体的な支援も兼ねる為、従来申告方式(ハローワーク窓口にて休職の申込)という積極的行動が必要だった代わりに【アウトリーチ:公共福祉に携わる人自身が、サポートを必要とする人の元に出向く】方式を取る事も特徴の一つだ。

(因みに氷河期世代への就労支援施策としては「わかものハローワーク」が10年程前から展開されているが、最も若い氷河期世代も30半ばを超える事から「わかもの」と呼びづらくなり、東京のハローワークでは「ミドル世代チャレンジコーナー」として新たに窓口を設置した模様)

 

同世代の者として、今になって何故氷河期世代がフィーチャーされるのかと違和感を覚える。

 

就職氷河期世代が抱える問題

政府によると、我々世代の抱える問題は「希望する就職ができず、現在も不本意ながら不安定な仕事に就いている、無業の状態にあるなど、様々な課題に直面している者がいる」事にあるらしい。

確かに、求人の絶対数が少ない中で自分の希望する職業に就くには熾烈な競争に勝たなくてはならなかったし、かと言って職に就かない訳にも行かない。雇ってくれる会社が有れば儲け物とばかりに其々就職先を選んで行った。中には"不本意ながら"有期雇用という選択をした者もいるし、圧倒的不利な状況下で就職戦線から離脱し、自信を喪失して無業を強いられた者もいる。しかし、それは現代に於いても大なり小なり発生する問題だ。

氷河期の問題の本質はその人数にある。

氷河期世代の一部は団塊ジュニア世代とも言われ、これは団塊世代の第二次ベビーブームから発した人口増加世代にあたる。つまり、単純に多世代より非正規雇用又は無業者の人数が多い。

現在我が国は急速な人口減少に伴う労働者人口の減少に歯止めが効かない危機的状況であるから、先ずは非正規/無就労人口の多い年代層の就業促進を図り、就労人口増加を図るのが政府施策の本懐と解するのが正当だろう。統計によると、不本意ながら非正規雇用で働いている人が少なくとも50万人、「長期無業者」が40万人程度いるとみられ、支援が必要な人は100万人程度と見込まれている。政府はこの約100万人を対象に支援を行い、正規雇用で働く人を3年間で30万人増やす方針を示している。

 

私の違和感の正体はここにある。

 

確かに日本全体を考えた時、労働者は国を支える重要な経済資源だ。多いに越した事は無い。バブル崩壊後、何ら具体的な就労支援を受けられなかった我々にとっては支援がある事自体有難い。然しながら、支援の手は現在非正規/無就労の者が対象であって正規雇用による就業者は対象ではない。

先程氷河期は数の問題と述べたが、不本意な就職を選択し現在もその職業についている正規雇用者の数もまた他の世代より多いのだ。

我々氷河期を潜り抜けた多くの者は、取り敢えず正社員で雇ってくれる会社なら喜んで就職を決めた。両親からも正社員雇用で働く事こそが大人になる事のように、社会人の証明であるように言われた。どれだけ過酷な労働環境であろうと、どれだけ不条理なハラスメントが横行していようと、掴んだ職業を簡単に離すわけにはいかなかった。転職の難易度は高く、それ故にどんな命令にも服従し、歯を食いしばって会社に滅私奉公する事が美徳とされた。

 

景気が後退する中、経済界では成果主義が叫ばれ、個人の短期的営業成績に依る評価制度が導入された。競争社会は熾烈を極めたが、心身を病み退場していく者たちに救いの手を差し伸べる余裕は我々には無かった。自分が生き残る事を優先しなければ、あっという間に社会からドロップしてしまうという恐怖感が常にあった。

高度成長期からバブル経済を経験している上司や経営層達の夢の余韻(自慢)やハラスメントの応酬に辟易しつつ、首を垂れて唯只管に所属する会社に利益もたらす為だけに時間と能力を費やした。

20年余りが過ぎた今、好き放題従業員を使い倒し、裕福な職業人生を歩んだ所謂”逃げ切り世代”である会社役員やトップマネージャー達は我々が立つ現場から姿を消した。当時しこたま貯め込んだ貯蓄と高額な年金をもらいつつ、華々しいバブル時代の思い出と共に今も定年後の生活を謳歌している。

 

氷河期特有の価値観とスキル

 では、残された我々はどうか。

以下は私個人の意見であり全く違う意見を持つ諸兄も多いと思うが、特に超氷河期と呼ばれた1990年代後半~2000年頃に就職活動を行った世代の総論として述べたい。

 

 先ず、我々に「ハラスメント」といった概念は無い。

ハラスメントとは簡単に「相手の意に反する行為によって不快な感情を抱かせること」と定義されるが、こんなものは日常数えきれないくらい現場で起こっていた。

人格を散々否定されても、飲み会や接待の席でヘンテコリンな女装を強要され皆の笑いの種にされても、多数の従業員の前で大声で叱責を受けても、ミスの際にあからさまな暴行を受けても、これらは言わば職場での”当たり前”であって、自分が悪いという思いはあっても相手が悪い事をしているという感覚を持っていなかった。今の職場に居残り続けるにはバカな上司に”耐える”のも大事な仕事の内だからだ。

我々にとって上司とは絶対で高圧的且つ理不尽なものであり、マネジメントとは「言う事を聞かせる」こと、つまり命令を発する事だと認識していた。指示、命令を理解できないのは受け手である我々労働者側の情報補完能力や想像力の欠如のせいだと指導を受けた。

私が印象に残っている当時の社長とのやり取りは、「花や川、山の名前を瞬時に50個以上言えないのは学習が足りていないクズだ。クズに給料は払わない」だ。

真に受けて流石に花や山の名前を50個覚えはしなかったが、その社長が在席している間、私はずっと「人間のクズ」扱いだった。勿論、呼ばれる際も「おい、そこのクズ」だ。

上席の人間には服従する。これが我々ミドル層の「常識」だ。

 

次に、我々は自分さえ良ければ良いという利己的な仕事の仕方をする。

仕事の成果は自分1人で上げたものである方が都合が良い。上席に、延いては会社に効果的に自分の優秀さをアピール出来る。評価は賃金となって返ってくる。

また、大多数の会社はピラミッド型組織形態を取るが、皆が皆高額なポストには就けない。所謂ポスト争いだ。これは単純な生存競争であり、より高次なポストを手に入れる事で会社に残る可能性は増し、賃金も上がる。

ポスト数に限りがあるなら他者を蹴落とさなければ有用なポストを手に入れる事は出来ない。単純に競争相手は少なければ少ない方が勝率が上がる。

他人が挙げた成果は難癖を付けて評価を下げ、自分が挙げた成果はそれ以上の評価を求める。このために処世術(その殆どは忍耐)を磨き上席に取り入ろうとする。

問題は会社という狭い範囲での無意味な生存競争が熾烈を極め、優秀な人材が流出するという事実だが、そんな事に気づくほどの心の余裕は無い。

我々は今の会社にしがみ付いて自分自身を、そして我々の家族を守り養い続けなければならない。

 成果主義の中、忍耐強くズル賢い者だけが勝利するという現実の中で我々はその特異なスキルを磨き続けた。某社栄養剤のCM「24時間戦えますか?」が何の違和感もなくお茶の間に受け入れられていた、そんな時代だ。

 

20余年という月日をかけて我々世代はかような教育・指導を受けて育てられてきた訳だが、然し今、労働環境は昔の影形を残す事無く変わってしまった。

 

(2)に続く