ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

就職氷河期世代の問題(2)

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 ※就職氷河期世代の問題(1)より

negatio.hatenablog.com

 

 先日とある研修会にて、偶々同世代の男女数名で帰路につく事となり、道中、「我々は不遇だ」という会話になった。

 

帰路を共にした男女は全員中間管理職として一般企業に勤めており、自分より歳の若い部下を複数名抱えている。互いに似た就業環境である我々共通の悩みは「若い社員への対応」だった。昨今何かと巷を賑わす各種ハラスメント問題を常に気にかけて部下とコミュニケーションを取っている。

 

話題となった”部下との接し方”の一例として、仕事を部下にお願いする(命令する)際はその業務の目的と手順・方法の詳細を分かりやすく、時には資料を準備し、説明の最後には理解度を確認する。更に進捗報告のタイミングを設定し、適宜報告をお願いする。

不適正な形でアウトプットを示された場合は具体的に不適正である箇所を示し、修正する方向性や方法、納期を説明し納得を得るようにする。人格否定や叱責など以ての外、説明や指導には相手が納得するまで十分に時間と労をかける。

飲み会の席ではお酌を強要してはならない。誰にも気を遣わない手酌が一番であると自ら酒瓶を握る。プライベートについては極力質問せず、所謂下ネタは絶対に使わない。これは男性同士の食事会でも同様である。

武勇伝は感情・心情を入れず事実を語る。決して過去の経験を基にマウントを取ってはならない。辛い時期を乗り越えたからこそ今の自分がある、だから苦労は買ってでもしろ、等のアドバイスは最早禁句である。

この手の話は我々世代の酒の肴として頻繁に取り上げられ、「最近の若いヤツは…」との結びに繋がるのが既定路線だが、最近少し変わってきたと感じている。

そう、氷河期世代の我々ミドル層の間では冒頭の「不遇だ」という結びに変わりつつあるのだ。

 

今を生きる我々氷河期世代管理職の悩み

 2012年よりアベノミクスによる金融緩和政策が始まり、2013年に東京オリンピック開催が決定し、全体有効求人倍率(パート・アルバイト含む)が1倍を超えた。程なくして2017年、正社員に於ける有効求人倍率が終に1倍を超え、働く意思のある人なら誰でも働ける「完全雇用」の状態を迎えた。労働市場は非常にタイトになり、現在多くの中小企業が深刻な労働力不足を感じ始めている。 現在就職市場は中小企業を相手に空前の売り手市場となった。

少子化による労働人口減少問題も後押しする形で、非正規労働者などを低賃金で使い捨てにするような経営では人口不足の日本で持続性のあるビジネスを展開することは出来ないと気付いた中小企業を中心に優秀な人材の争奪戦が始まった。

より良い労働条件を。

より良い雇用環境を。

より良い人間関係を。

先進的なオフィスや機材、アイデアや経営理念整など自社の雇用市場へのPR合戦は熱を帯びている。

新卒入社社員は内定時から辞退防止策として研修や社員との懇親会をセッティングされ、就職後も手厚い研修とOJTが実施され,会社によってはメンターまで配置される。

これらの処遇は我々が経験してきたソレとは真逆であり、彼らの前では最早我々の常識とスキルは通用しない。就職や仕事に対する姿勢、考え方、受けてきた教育、これからのキャリアプラン、どれをとっても我々世代と一線を画す。

ミドル層管理職に於いては、これも時代の変化と割り切って自身の意識と行動を無理にでも変えていかなければ組織運営はままならないだろう。 変わらなければ今の労働者人権意識の高揚に押し出される形で職場からつまみ出されかねない。

 

上記のように、今の社会情勢や雇用市場の変化、人権意識の高揚から、例えばハラスメント等が社会的に認知され、我々が”当たり前”だと思っていた事が実は”悪い事”となり、様々な労働問題に発展いしていくという雇用管理上のリスクの増大は、我々ミドル層管理職が持つ問題の一つの側面である。

然しながら、我々が持つ問題のもう一つの大きな側面は我々の「上司」にある。

 

中間管理職である以上、我々にも上司はいる。

ピラミッド型組織形態をとる企業が多い我が国では上意下達方式で様々な形の指揮命令が為されるのが一般的であるが、この際我々が直接指揮命令を受けるのは上司からである。(総論的だが)この「上司」は我々より年上である事が大半であろう。つまり今では非常識と言われる様々な教育、経験を積みそれらを体得し、或いは耐え抜いてきた猛者達である。彼らの”常識”はいわば我々と共通する常識であり、彼らの対話の相手は我々ミドル層管理職である。

我々の「上司」は各種ハラスメントを厭わない。”悪しき”行為であるという情報は持っているが、実感はしていない。そこに悪意はなく、ただ昔からの慣習と為された教育の賜物を以て指導・教育を部下に施し、指示・命令しているに過ぎない。

 

このように、凄惨な雇用市場の中で年功序列と就寝雇用を信じて現在まで生きてきた我々中間管理職の面々は、「上司」とは”旧来の常識”に則った形でコミュニケーションを取り、若手社員とは”新しい常識”の上でコミュニケーションを取らねばならない”狭間”に立っている。この狭間の中で上手に立ち回らなければ業績不振やチーム崩壊、労働災害など様々な労働問題の引き金を引いた責任を問われかねない。そして、「上司」と「若手」という上下どちらかの属性に肩入れをする事は立場上許されない。

今を生きる我々は「上司」が退場するまでこの”狭間”で生きていく。2つの”常識”を共に理解し、上下の関係を融合・接着させて組織のスムーズな意思疎通を可能とする潤滑材としての役割を負わねばならない。

そのような器用な人間が果たして何人居るだろうか。

自分たちが受けてきた教育や価値観を、従来通りの方法で次の世代に伝える事がそんなに悪いことなのだろうか。

我々は何故、このような複雑な立場に立たされなければならないのだろうか。

 

我々氷河期世代管理職のコレカラ

働き方改革が叫ばれる昨今、各種ニュースではハラスメントを筆頭に数多くの労働問題が取り上げられているが、こういった事件の中で40~50代の方が引き起こす問題の多くはこの”狭間”の中で生きる葛藤の中から生じたものであると私は考えている。

20年余の歳月をかけて蓄積した経験とそれに伴う教訓やスキル、価値観は一朝一夕には変える事が出来ない。”新しい常識”についての様々な情報は、見聞きする事は出来ても実感する事は出来ない。

AIやSDGs等新たな価値の出現に伴い激化する中小企業間の生き残り競争の中、責任と共に新たな、しかも未知のストレッサーを抱えた我々氷河期管理職達は対処や解決方法も分からず、時に失敗し、時に心身を病みながら手探りで現状を前に進めるしかない。

 

我々が会社員としてこれからを生きていくためには、狭間の世代に生まれた事を悲観するだけではなく、辛い思いをして得た経験と培った能力を武器に、我々自身が”柔軟に変化”できる方法を探さなければならない。

これは挑戦である。

難易度が高く、成功を示唆する兆候すらも見えないが、然しこれは我々にしか為し得ることが出来ない壮大な挑戦である。