社会人になって勉強する時に注意すること(2)
※(1)からの続き
③「成功=勉強量」という当たり前の真理を知るべし
記憶力や理解力など、所謂合格ラインを超える実力に達するまでの勉強量には個人差がある。
しかし、このあたりの能力を図る正確な基準やテストは一般的には存在しない。つまり、自分の能力は自己評価でしかない。曖昧な自己評価を基に勉強量を決定すべきではない。
最も客観的かつ絶対的な勉強量の測定方法は「勉強した時間」以外に無い。
資格試験勉強を始める前には、どんな人でも「難易度」を調べると思うが、いろんなサイトで難易度の解説と同時に「必要となる勉強時間の目安」が紹介されている。これを基に必要な勉強時間を割り出すことが出来る。
例えば、必要な勉強時間の目安が2,000時間と紹介されていたとすると、自分が目標とする勉強総時間は4,000時間になる。つまり2倍だ。これを最低の勉強量に設定する。
基準となる目安の時間に関しては、調べた中で最も高い数値を基準に据えるべきだ。
ここで言う勉強時間には、仮に予備校に通学した場合、予備校での授業時間は勉強時間にカウントしてはならない。あくまで自分1人で勉強する時間の総量である。
この「勉強時間の総量」を甘く見積れば、失敗する可能性は飛躍的に高くなる。
総量が分かれば、後は平日に消費できる勉強時間と休日(予備校以外)に消費できる勉強時間とを勘案して、次回試験日に間に合うかどうかで受験日を設定する。
参考として、自分が社労士の勉強をした際は下記分量を18ヶ月続けた。
- 平日勉強時間:6時間
- 土曜他休日勉強時間:12時間
- 予備校通学時勉強時間:6時間
- これに+αで会社の休憩や喫茶店でのサボり時間:2時間
- 開始時からの総勉強時間=約3,800時間+α
社労士合格に必要となる目安時間は800~1,500時間と紹介されているが、優に2.5倍の勉強時間を確保し、実際これを実行した。結果、1度の受験で合格した。
業種により平日に消費できる勉強時間はバラつきがあると思われるが、プライベートを全て勉強時間に当てることができれば、かなりの時間が確保できる。
勿論、家族との時間は全く無く、会社での飲み会や接待も、どうしても必要になるもの以外全て排除した。会社の同僚や上司の理解を得ておかなければならない理由はここにもある。唯一の楽しみは文房具を買いに行く時くらいだ。
合格に必要なもの、それは頭の良さではなく「圧倒的な勉強量」に他ならない。
④受験勉強に味方はいない。One man armyを目指すべし
予備校に通っていた頃、よく一定の集団が合同で勉強会なるものを開いていた。一時期福岡の予備校に通っていた頃などは、クラス全員で名簿を作り、代表幹事役が合同勉強会の日程をクラス全員にメールで一斉配信していた。合同勉強会の後には懇親会と称した軽い飲み会も開催されるという。
私はいつ、いかなる場合も「みんなで勉強しよう」的な会には参加しない。
難易度がある程度高い資格試験になると、絶対評価ではなく”相対評価”で合格者が決まる。となると、周りにいる受験生は全員”敵”なハズだ。敵となれ合い、手の内を明かすのは自殺行為である。
受験勉強は確かに孤独である。
同じ目標を持った周囲の受験生は、なんとなく「仲間」と思いたくなる。分からない所はお互いに教えあって補完しあえば合格する確率も上がる、と思うのも無理はない。が、それは自分への甘えだ。合格したいのであればこの甘えは徹底的に排除しなければならない。
勉強するなら「1人」でするのが絶対条件だ。
周りの受験生は、自分の進捗度や実力を図るための存在でしかない。合格率が10%の試験なら、周りの受験生の上位10%になるまで勉強の手を緩めてはならない、といった指標として認識すべきである。
周りのヤツより勉強すれば確実に合格する。常在戦場。勉強は自分との闘いなのだ。
もう一つ。ネットでも予備校でも、「n回転」組が存在する。1度で合格できず、2度3度と受験勉強している組だ。この者たちの意見は絶対に参考にしてはならない。確実に失敗する。合格に受験経験は関係しないし、方法論も無い。
あるのはただ「圧倒的な勉強量」のみである事を忘れてはならない。
⑤「神頼み」は馬鹿にできない
最後に「神頼み」について。
私は受験前に必ず大宰府まで赴き、合格祈願のお守りと合格祈願文具を買うようにしている。あと、亡くなってしまった祖父や祖母にも合格を祈願する。
仕事柄福岡に行くことが多いのでこの方法がとれるだけで、一般的には近くの神社でも良い。在阪なら大阪天満宮をオススメする。
理由は特にないが、いざ戦場に赴く自分への「気分の締め直し」という意味でも有効である。
悲しい事だが、受験には必ず「運」が必要になる。難易度にもよるが、難しい試験である程、試験範囲を全て網羅することは不可能になる。必ず”無勉の隙”が生じるのだ。
社労士試験では「一般常識」という名を借りた「非常識」な問題がでる。昨今問題となっている「統計」を問う問題だ。
厚生労働白書を丸暗記している受験生などまずいない。ここで知らない箇所が出題されると、その年の試験はアウトとなる。
正に「運」との勝負なのだ。
神頼みの有用性がどれだけあるかは分からないが、自分の経験則として必要な手順に加えて置く。
壮絶なバトルを制した先に何を思うのか
経験者は知っていると思うが、資格試験に合格するという事は本当に大変だ。
大なり小なり犠牲を払い、誰からも尊敬されず、誰得な勉強をたった一人で黙々と継続する。中には失敗する人もいるだろう。
通常、国家資格は1年に1日しか試験日がない。失敗すればそれまでの努力が水泡と帰す。リアルに大泣きしている人を何度も見た。「また来年頑張ればいい」とは簡単には言えない。
そんな大変な苦労を超え、狭き門を潜り、見事合格した先に一体何を得るのか。
それは「自信」である。
合格は自信に直結する。得た称号を活用出来なくとも、ここで得た自信は今後の人生に於いて大いに意味のあるものになる。周囲からの見た目ではなく、自分で自分をみる目が確実に変わる。「やれば出来る」という実感は、今後の人生の荒波から自分を幾度も助けてくれるに違いない。次の挑戦もきっと成功に導いてくれるだろう。
シンプルだが「自信を持つ」という事は大事だと思う。
私はこれまでに、職務に関係の深いものから全然関係ないものまで、様々な資格試験を受験してきた。
役にたっているものもあれば、そうでないものもある。しかし、勉強に対する自信を身に着けることはできた。勉強して経験を積めば大抵の事は何とかなるという事を身をもって経験してきた。
正しい勉強法や効率的な勉強法は存在しない。自分のやり方で問題ない。
よく周囲から、「どうやったら合格できるのか?」という質問を受けるが、答えは一つ。
「勉強したら合格するよ。やるかやらないか、それだけ。」