ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

「従業員は家族です」という経営者の発言について思う事

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先日、とある管理職会議にて社長が言った一言。

 

「私は、社員は家族だと思っている。」

 

まぁまぁ聞くこのフレーズだが、ついにウチの社長も言い出したか…と。

「脱社畜ブログ」管理人の日野瑛太郎さんも、「社員は家族」について言及されている。そして個人的にも日野さんの意見には概ね賛成である。

 

(詳しくはこちら)

toyokeizai.net

例えば大手居酒屋チェーンの某CEOも同じことを雑誌か何かのインタビューで語っていたが、その会社は苛烈な労働条件により過労自殺者を出し、連日メディアを賑わせた。

 

それでも社長がついつい言ってしまうのであろうこのフレーズ…。言わんとする所も分かるだけに、残念でならない。

 

そもそも「家族」とは何か

 

どの国でも「家族」という言葉は特別な意味を持っている。

 

共通してイメージされるのは「最も精神的な繋がりが強い一つの集団」ではなかろうか。

あくまで原則だが、家族は強い信頼で互いに結びつきあっており、同じスペースで寝食を共にし、1人の問題は家族全員の問題として処理される。上位者である親、年長者は下位者である子、孫に時間や財産を与え、下位者はより下位者に与える。そこに「損得」という概念や厳格なルールは無い。

法的にも「家族」であるといった事のみで自然と認められる権利や義務が山ほどある。

夫婦であれば貞操、扶養の義務が自然と生じ、契約といった手続きを経なくとも財産は共有となる。

また、子が他社に与えた損害を親が賠償する。親はデフォルトで「保護者」と呼ばれる。

最近はこの「家族」の常識が通じない場合も多々と発生しているが、概ねどの国でも「家族」と言えばこんな感じだろう。

 

権利や義務が自然と発生する替わりに、法律は家族の中に不要に割り込まないように設計されている。例えば子が親の金を盗んだ場合などは「違法性が阻却される」事になっている。親が子を平手打ちしても傷害罪にはならない。労働基準法でも家族経営の会社で働く親族は原則として労働者に当たらないとされ、大げさな話だが給料を払わなくても労基法違反や最低賃金法違反にならない。

(因みにちびまる子ちゃんの「ひで爺」は家事使用人として労基法の適用が無い。爺に指示を出すのは花輪家の奥さまや花輪君。労基法が適用されるとなると、法違反があれば指示を出した奥様や花輪君に罰を与えることになる。そうならない為に家事使用人は労働者から除外されている。)

 

挙げればキリがない程、社会的にも家族として特別な扱いを受けている事は多い。あまりに自然すぎて意識出来ないだけだ。

 

確かに、従業員を「家族」として扱う場合、法的には賃金を低く抑え、法定労働時間を超えて仕事をさせても違法にはならない。会社が儲かっていないなら、全員で給料をもらわず、しゃにむに働くのが当然だ。だって「家族」なのだから。

会社を辞める、辞めないの選択肢も無い。そもそも契約自体が無い。家族だから。

理不尽に怒られても、ちょっとくらい殴られても文句は言えない。なんてったって家族なんだから。

 

会社の社員を「家族」だと考える、という事

 

おそらく世の経営者は上記のような発想で「社員は家族」と言っている訳ではない。

家族と同じくらいに従業員の事を大事に考えている、くらいの意味であるはずだ。それくらいは誰でも分かる。

「ウチの会社を去ったとしても、余所で困らないようにシッカリと育てよう」

「困りごとには可能な限り対応してあげよう」

「儲けは出来るだけ従業員にも還元してあげよう」

そういった【優しい気持ち】で従業員と接していこうという意思の表れだと思われる。コレはコレで良い事だし、従業員としては有難い事だと思う。

 

しかし個人的にはやはり「社員は家族」という考え方を受け入れる事ができない。

軽々しく「家族」という言葉を仕事に持ち込みたくない。

 

我々従業員は「労働契約」で働いている。仮に奇跡が起こって莫大な利益を得たとしても、それは個人の収益にはならない。なぜなら「契約」で「賃金」をもらっているからだ。利益とは株主に配分されるものであり、我々従業員がもらうものではない。

同じように、我々は「労働契約」に則って労働力を提供している。限りのある労働力を会社に「売って」賃金を得ている。

労働の根拠が「契約」である以上、解除も可能である。この場合、労働者側は労基法により原則自由に解除できることになっている(有期雇用契約は一定の制限あり)。

精神や身体を壊してまで会社に尽くす理由はどこにも見当たらない。

 

私は、会社で仕事を頑張るのは「自分の為」だと思っている。図らずも長時間労働休日労働になった場合は「他の人より沢山経験値を稼げるぞ」と思って仕事にあたる。

難しい仕事や金額の大きいプレゼン等は、「レベル低いうちにちょっと遠くの町まで冒険に出かけたら強力な武器を手に入れて俺TUEEEチャンス到来」と思って挑戦した。

ハイリスクハイリターンである仕事に率先して突撃したのも、全て「自分の為」だ。

非効率な作業で自分の時間が奪われるのは、レベルが高い状態でスライムと戦うようなものだ。時間がもったいない。

 

自分が強くなればなる程、自分や家族の将来が安定すると信じている。安定の為に自分の健康やメンタルヘルスはちゃんと自分で管理する。

よって会社の為に奉仕するという考え方は自分には皆無であり、家族という意識はとても持てない。

自分本位のただのワガママ社員だと思うが、自分の利益(キャリアや賃金)と会社の利益(役務提供や利益獲得)が合致するからこそ、契約を結んで会社に所属するものだと思っている。

 

だから、社長はこう言えばいいのではないか。

 

「従業員は業務遂行の上でのパートナーだと思っている」。