ミドリ草BLOG

ミドリ草BLOG

擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

本当に働きやすい会社とは?

世の中ハラスメントが横行している。

 

しかし、約382万社ある日本企業のうち何割で深刻なハラスメント被害が出ているのだろうか?

 

パワーハラスメントの経験の有無(厚生労働省

 

調査実施時(平成28年)の過去3年間に、実際にパワーハラスメントに関する相談を1件以上受けたことがある企業は回答企業全体の49.8%で、実際にパワーハラスメントに該当する事案のあった企業は回答企業全体の36.3%でした。

 

とまぁ、パワハラだけてもこんな感じらしい。数字で見るととても多い。

様々なハラスメントを入れると、もっと数は増えるだろう。

 

今、ハラスメントには沢山の種類がある。セクマタケアパワアカアルエイジ終わ家事時短スメ…世の中に認知されている各種”ハラ”を挙げれば40種類以上もあるそうだ。

これからも新種発見の如く様々なハラスメントが見つかるに違いないし、生きにくい事この上ない。

自分が嫌な思いをするものは全てハラを付けて禁止にしてしまうのだ。ハラハラと呼ばれる、「ハラスメントですよね?」って言う事が既にハラスメントという馬鹿げたケースもある。

 

暴力、暴言、精神的に追い込んで病気にする等といった行為はハラスメント以前に犯罪なので絶対ダメなのは誰でも分かると思うが、それ以外で深刻なハラスメントって…どれ?

気を付けたいけど価値観は人それぞれ、自分は気にならなくても他人にとっては深刻なハラスメントたり得る。

 

なるべく他人に迷惑かけずに生きて行きたいが、これではそれも難しいのかもしれない。

 

言いたいことを誰でも声高に言える今

 

個性が尊重されて、言いたい事が言える社会。少数意見が無視されず、全員が全員のhappyを追求出来る社会…もちろんそれは素敵な社会だと思う。そうなれば良い。

しかしこれは希望の片面しか見ていない。日本は最大多数の最大幸福という民主主義国家から脱皮して、個の絶対幸福を容認する国家になったワケでは無いし、公共の福祉もちゃんと存在する。

 

要は相手の事もちゃんと尊重して理解したり我慢する事が前提がないと、そもそも人間社会は成り立たないのだ。

物語の背景を考えたり、行間を読んだり、空気を読んだり、慮ったり、人の話を最後まで聞いたり…面倒くさいが皆様が気持ちよく暮らすには個々人が持たなければならないスキルなのだ。

 

そんなの当たり前でしょ、と言われるかもしれないが、ムカっ腹が立った時などはこんな常識がどこ吹く風、人の前では大人しくてもブログやSNSで「○○ハラスメントで訴えてやる!」とつぶやく諸兄姉も多いのではないだろうか。目の前の画面には認識できる”人間”はいないし、誰が咎めるわけでもない。

 

オフ会やサークル等、人は共通の目的を持ったり価値観を共有するとネットや会社、学校等、今いる社会から抜け出して集まり、集団を作る。この中では「あなた、○○ハラでしょ!」と吠えまくる者は少数ではないか思う。その集団の中では他人を尊重し、多少は我慢をするようになるからだ。

好きで集まった集団、目的を同じくする同士の中ではハラスメント問題は起きづらいし、数は激減するだろう。

 

本当に働きやすい会社とは

 

最近、企業内ハラスメント防止研修を受ける機会が多くなった。厚労省が実施する専門家養成研修にも先日、参加してきたし、実際自分の会社でもハラスメント研修をやっている。

そしてどの研修でも必ず問われるのは、

 

「どうやったら働きやすい会社にすることができるか?」

 

という難問である。

 

現在の会社でのハラスメント発生状況をアンケートで調査し、経営トップから「ハラスメントは絶対許さん!すれば懲罰だ!」とメッセージを全従業員に投げかけてもらい、就労規則(ハラスメント懲罰)を整備し、相談窓口を設け、委員会を設置して事件が起こればGメンばりに調査をする。

マニュアルに従えばこんな感じなのだろうが、ここには本質がないように思えてならない。

 

一般の企業で働く我々の大多数は、別に好きで同じ会社に集まったワケではない。生きる目的も価値観も環境も皆違う。同じものは何一つと言っていいほど、無い。

好きな事を仕事に出来て、かつ目的が同じ仲間と仕事が出来る職場といったものもあるにはある。だが絶対数はかなり少ない。

 

だからこそのハラスメント問題ではないのか。

 

何もかも異なる者同士が寄り合い、評価という曖昧な尺度で労働力としての価値を査定され、意味があるかないか分からない、時には苦痛を伴う作業を延々と行うのが職場というものの実体だ。

こんな環境ではイライラも募るし、些細なことで腹も立つのは無理からぬ事だろう。

 

だがしかし、我々にも共通の目的はある。それが「給料」だ。

 

企業の理念に共感し、世の為人の為に汗水をながすのはごく一つまみの人間であり、世の大多数のワーカーは”給与”の為に働く。お金をもらっているのだから、多少の事は(多少でなくとも)我慢して文句を言わずに働くという意識を個々人が持てば、ハラスメント問題もめでたく解決するのではないか。

要は昭和初期に戻ればいいのである。安部総理が否定した「モーレツ社員」に皆がなればいい。どうしても我慢ならない場合はその会社を去るしかない。

 

思うに、本当に働きやすい会社なぞは世の中の人材価値への見方が変わらない限り存在し得ないのではないかと思う。

 

最低限我慢できる環境の職場が見つかるまで、ジプシーさながら自由に転職を繰り返し、これはと思う職場に腰を落ち着けることができたら…。価値を共有する者同士が自由に起業し、複雑怪奇な社会システムに囚われず、自由に活動できたら…。自らが数多の選択肢から選んだ仕事なら、不平不満をいう数も減るに違いない。

 

と、およそマトモな事とは思えない事を考えてみたい今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?