ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

管理職というよく分からない人達の話

企業というのは大体が組織をもって事業活動を行い、何かしらを右から左、上から下へ移動させる事で利益を追求し続けている。

規模が小さければ社長が全ての指揮采配を行うが、一定規模の人数になると社長1人で全員の活動を見ていられなくなる。

また、全員が好き勝手な活動をしているより、生産や管理、営業等と分業させ、各々専門性を追求させた方が生産効率が上がる。

こうして組織が出来上がって行くが、そうなると各セクションを束ね、そこで働く人達を見張ってムチ打ったり指導したりする者が必要になってくる。

ウイグル獄長の登場だ。

 

ピラミッド最強説だった私たち

 

高度経済成長を支えた日本の数多の企業は、経営トップを頂点としてピラミッド型の組織構成をとった。

日本は古来より上意下達の支持系統が馴染みやすく、また目的や理念と言った曖昧なものに精神を委ねやすい民族性から、文字通り命を投げ出して命令通りに生産活動に没頭した。

几帳面な国民性と「贅沢は敵」という戦前の精神も手伝って、日本の商品は安価で良品質という世界市場での競争優位性を持ち、日本ブランドを確率させた。

ピラミッド型の組織構成は非常に上手く機能し、日本の産業は急速に発展した。

たが今、周知の通りこの競争優位性は失われつつある。

世界はITテクノロジーが進化し、ビジネスはスピードを増し、負荷価値の高いアイデアを誰よりも早く実現した企業が世界規模の市場で経済活動を行う。国境を超えたビジネスは、もはや前提となった。

株価時価総額TOP50のうち約60%はアメリカの企業が占め、その上位企業は物的製品を生み出さないIT系企業だ。

製造大国日本は、もはや見る影もない。

ビジネスの様相は、一昔前からは想像も出来ないほど大きく変わってしまったのだ。

 

と、ここまでは常識の話。

 

沈みゆく最適化された世界

 

超超高齢社会である我が国は、とはいえ一昔前の旧態依然とした組織活動から抜け出せていないのではないだろうか。

組織は依然ピラミッド型が主流であり、指示系統は上から下へ時間をかけて流れ、歯向かう事は原則として許されない。逆三角形やフラット型組織等、ピラミッド以外の組織をとる企業もあるが、絶対数は少ない上に、更に成功例は少ない。

また、グローバル展開しようにも、そもそも外国語を使える日本人の割合が少なすぎる。世界的に珍しい単民族国家ならではの重い課題がのしかかる。

我々はビジネスにおける速さを無くし、代わりに世界が見たこともない速さで年老いていく。

正に危機迫る日本の商況において、組織の在り方を論じ、再構築し、試行錯誤する時間はもう無い。高齢化と人口減少の大波は遠い未来の話では無い。

 

ならどうするか。

 

先人達の叡智により積み上げられたこの日本ピラミッド構造を維持しつつ、キングダムの飛信隊よろしく、社員一人一人を更なる高みに進化させ、組織そのものを今より一気に強くするのだ。それが出来なければ我々は明日負ける。一夜で覚醒し、敵より強くなる以外に勝つ道はない!

 

(管理職)

そんな事出来たら誰も苦労しねーっつーの。

一体どーやったらそんな事できるんですかね?

 

(社長)

知らん!お前のチームだろうが!

 

 

……今の管理職の皆さん。こんな感じじゃないですか?間違ってたらゴメンなさい。

 

管理職という悲劇の本当の姿

 

まず第1に、キャリアは断絶している、というのがある。人事の中では比較的知れた話である。

 

どういう事かと言うと、営業で優れた成績を残す者が、マネージャーとしても優れているワケでは無いという事だ。

営業スキルは営業スキルであり、マネジメントスキルとは別物なのだ。逆に、現場ではパッとしなかった人が優れたマネジメント能力を発揮する場合もある。

だがしかし、旧態依然とした我が国の中小企業ピラミッダー達は依然として現場スキルの延長線上にマネージャーを据えたがる。

 

ハッキリ言って、これはかなりイビツだ。

 

優秀な現場担当者は自身の成功体験を数多く持っている。そんな人がマネージャーに任命されると、部下にもその成功体験を基にした行動を指示指導するようになる。だが、成功パターンや結果の出し方は人によって異なっているため、自身の成功体験を模倣させても結果に繋がらない場合が多い。

「なぜ言った通りに出来ないんだ!」は間違いであり、そもそも他人に自分と同じ事は出来ないと思うべきだ。

「1を聞いて10を知れ」というのも無理があるだろう。エスパーでもない限り、知らないものを知りようがない。徒弟関係のようなマネジメントは現代にはミスマッチだ。

キャリアの延長でマネージャーに任命される人は往々にしてマネージャーになるための訓練や教育を施されないまま、マネージャーとして就任し、結果責任を負わされる事になる。上位レイヤーからは数人~数十人のチームでの結果を求められ、自分が成功した方法しか知らないマネージャーは自分のしてきたやり方でチームメンバーに行動させる事で結果を出そうとする。他のやり方を知らないのであれば当然の流れだろう。結果として、成果が上がらなチームの空気はどんどん澱んでいく。

 

第2に、管理職は求められる結果に応じてマネジメントするパターンが異なる。

ざっくり分けると、安定期に入った事業であれば、今より1円でも収益性を高めるために非効率を徹底的に洗い出し、無駄を省き、与えられた資源で収益を伸ばす、所謂「管理型」マネジメントが求められるが、事業が始まったばかり、或いは衰退期に入った事業では、一般的には効率を求めず、行動変容を求め、試行錯誤する「リーダーシップ型」マネジメントが求められる。

両者に必要な能力やキャラクタは全く別物である。

管理型は客観的数値根拠から無駄を見つけ、少しづつでも収益を上げる数値管理型能力を要するのに対し、リーダーシップ型は周りからの反対を気にも止めずに未開の領域にズンズンと入り込む動機付け能力が必要だ。

大袈裟に言えば、管理型のマインドは「非効率は敵であり、結果が確実でないものは排除」であり、リーダーシップ型のマインドは「結果はどうあれ、可能性があるものにはどんどんトライする」であろう。

 

この辺りが全く考慮されず、特性や志向性を無視し、現場スキルの延長でマネージャーに任命された管理職とその現場スタッフはたまったものでは無い。

ある日突然、経営トップからは理解不能な命令が飛び、現場からは不平不満が噴出する。

チームの成長は停滞し、結果の出せないマネージャーは部下の不満に晒され、環境が悪化したチームではハラスメント問題が徐々に顕在化してくる。いつの間にか車内は機能不全に陥り、経営トップがリーダーシップを発揮して行動変容を促すも、ついてくる部下はもう1人も残っていない、といった状態にもなりかねない。

 

…何が、そして誰が悪いのか?

 

1つは管理職に求められるものをしっかり定義しなかった経営トップであり、1つはマネジメントスキルを勉強しない管理職、これに尽きる。

 

管理職に任命されるという事は、別に人より偉くなったという事では無く、求められる役割が変わったのだという事をマネージャーは強く意識すべきだ。雇用契約に乗っ取って働く会社員にとって、同じ労働契約で働く従業員間に於いて偉い偉くないの差は生じ得ない。

求められる役割が変化した以上、新たに自主的に学ぶ必要がある。キャリアは断絶しているのである。現場で成功した要因は、恐らく周りのライバルより熱量をもって学習してきた結果であろう。

現在、自身の置かれている状況を冷静になって見つめ直し、求められる役割を定義し、1年生の気持ちを戻って新たな学習の1歩を踏み出そう。そこに自信はあっても傲りがあってはならない。学ばない管理職は、チームにとっても会社にとっても不都合である事を、しっかりと認識しよう。

 

と、現在学ばない管理職の代表格である私が自戒の念を込めてブログという形でしたためてみた。

 

部下のみんな!ホント頼りないマネージャーでゴメンちゃ♡(・ω<) テヘペロ