ミドリ草BLOG

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擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

「俺たちは努力して元の世界を再建しようとしている」

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我が社は現在、危機的な状況にある。

 

ほんの10年前までは1,000億円に手が届くか届かないか程度の売上規模を持つ企業であった我が社は、折からの不況と既存顧客の吸収合併、創業以来取引を行っていた大口顧客の規模縮小等により安定的に年間数億円規模で売上高を減少させ続け、今期の決算で、ついに営業利益赤字をたたき出した。

 

勿論、売上高減少の傾向が予想された年からは現事業を水平展開し、新規顧客を開拓する等新しい仕事の獲得を目標として営業部は ”それなりに” 頑張ったが、結果として数字が以前のように回復する事は1年度として無かった。

 

今期の決算で営業利益赤字に陥ったというニュースはすぐに全社を駆け巡った。従業員は口々に「ウチの会社大丈夫か?整理解雇があるのか?」と方々で言いあった。だが、自席に着いて行う業務の内容が変化する事はない。赤字の会社になったからといって仕事場の日常風景がそう大きく変わる事は無いのだ。

経営的な危機に陥ったとしても、別に社内で赤ランプが点灯し警報が鳴り響くわけでは無い。

 

そうして売上高を減少させ続けた大きな理由はやはり、”みんな特に努力しなかった” 事だと考えられる。

 

”体感できない変化”の恐怖

 

 人は少しづつ変わっていく環境の変化を認識できない。

例えば平穏な日常の中で、朝目が覚めて昨日と異なっている点をしっかりと認識できる事柄は幾つあるだろうか。

いつもは居るハズの時間なのに家族の内の誰かが居ない、朝ご飯は通常お米と味噌汁と一品なのに、今朝に限って菓子パンだった等、自身の周囲半径数メートル以内の変化なら確認し認識できる。しかし一歩家を出て、例えば隣の家のおばあちゃんがインフルエンザに罹ったといった事は分からない。当たり前だ。

また、変化が僅少であった場合等も認識出来ない。暦上の区別は別として、少し体感温度が上昇したくらいでは、冬から春への季節変化としては認識できないものだ。

我々は自身で体験した差異をはっきりと確認出来て初めて環境の変化を認識出来る。今更何を…と思われるくらい当然の事だが、この常識にこそ ”恐怖” が潜んでいる。

 

先日とある同僚が、

「20年前に入社した時は机にパソコンなど無く、紙と鉛筆で仕事をするのが当たり前だったが、今はノートパソコン持参で会議に参加し、一人一台スマートフォンを支給されている。個人が仕事をする環境は随分変わった。これから更に20年後はどういった環境で仕事をしているか想像がつかない」

といった発言をした。

一昔前からすれば想像だに出来ない大きな変化だが、この変化も、やはりある日突然訪れたワケではない。毎日少しずつ、日常の中で確認できない変化が積み重なった上での結果だ。

 

世界は少しづつ、でも大胆に変わっている。

 

20年も経てばさすがに60歳を超える。なら定年を迎えているだろう、といった今の常識は変わっている可能性が高い(というより間違いなく変わっている)。

 

変化は良いものばかりではない。

少子化・高齢化も変化が見えづらい「静かな有事」の中で対応できなかった、あるいは対応しなかった結果としての課題だ。

ある朝目が覚めたら全員高齢者になっていた、というくらい劇的な変化であれば、どんな人でも変化を確認、認識し危機感を覚えただろう。

 

ほんの一例ではあるが、試しに下記をご一考頂きたい。

 

「我が国は少子化が進み、この先人口が減少する」

 

こう言われてどれ程の焦りや危機感を覚えるだろうか。

 

統計分析上の数値では、2017年に1億2,653万人であった日本人は2065年、つまり今から46年後には8,800万人まで減少すると予想されている。

3,853万人”減る”事になるが、これは関西地方、中国地方、四国地方と北海道を足した総人口と同じくらいの数だ。

 

現政権は合計特殊出生率を現在の1.45から1.8まで回復させようと様々な取組を行っている(因みに戦後日本(1947年)時点の出生率は4.54)。

この1.8という数字までに回復すれば人口減少が止まる…ワケではない。合計特殊出生率は女性が生涯に出産する子供数の推計値だ。つまり最低2(正確には2.07)でトントンなのであり、1.8では”減り続ける”事実に変わりは無い

 

そして人口の減少は様々な問題を引き起こす。例えば労働力の減少は言うに及ばず、これから「絶対的な後継者不足」に陥る。競争力も低下し、社会全体のレベルが下がる。警察や消防、医療等公益サービスに従事する人間も減る。社会的インフラ事業も然り。

急速なな労働人口減少問題の対策の一環として先刻「入管法」の改正が為されたが、外国人労働者が急増した未来で一体誰が現在の治安レベルを維持してくれるのであろうか。

外国人労働者=犯罪者と言いたいワケではない。ただ、外国と日本では法律も常識も文化も認識も違う。犯罪では無いにしろトラブルは確実に増加すると予測するものである)

 

このように、今後たったの50年足らずで我が国の社会は急速に活力を失っていく

この問題には更に「高齢化」という別の大きな問題が絡んでくる。

ここまで知っていながら「人生100年」を平穏な気持ちで受け入れられる人間は一体何人いるだろうか。

 

(毎日、新聞等を読み、上記のような課題に関するフレッシュな情報にアンテナを反応させている諸兄は別として)上記の事実を知った前と後では焦りや危機感の度合いが変化したのではないだろうか。我々が日常の中で正確に確認出来ないだけで、これらの変化は日々確実に進行している。

 

”何もしない=未来は無い” という事実

 

上記の問題以外にも様々な課題が我々を取り巻いており、日々少しづつ我々に這い寄ってきている。

誰かが目に見えるように赤ランプを灯したり、ハッキリ聞こえるように警報を鳴らしてくれることは無い。

そして皆が変化を確認せず何もしないままであれば、我々には”確たる暗い未来”が待っている。

どうすればよいか、という問いには正確な答えはない。ただ、未来に適合できるよう自分を変化させたり、周辺の環境に対して少しづつ”良い変化”を促す力を加える事は出来る。

 

先例の我が社の場合、社内では確かに日常の変化は無い。しかし会社を取り巻く環境は激変する。銀行、税務署、帝国データバンク…。我々は主体的に変化を「知る」事で危機を予測し、準備しなければならない。これは個人であろうが国家であろうが変わらない。

「知る」ためには「努力」する必要がある。危機がどこに潜んでいるのかを注意深く観察し、日々溢れ出る情報から必要なものを選別し、又は自主的に学び、得た知識や情報を整理し、分析し、予測する。

予測した未来について他者と意見を交わし、また公表されている事実と照らし合わせたりして精度を磨く。その上で「自分に出来る事」を考えて行動に移す。

 

未来に対し、我々は自分で”赤ランプ”を灯し、危機意識を以て「知る」努力を怠ってはならない。