ミドリ草BLOG

ミドリ草BLOG

擦り切れそうな人間関係摩擦と経営者のワガママ暴言に辟易としつつ自己嫌悪と闘いながら今日も自立を夢見て

「発表」の心構え②

 

f:id:negatio:20190217214813j:plain

(「発表」の心構え① より)

 

実習当日、他のチームのプレゼンは素晴らしかった。

 

皆堂々としており、プレゼンターの説明は淀みなく、何故この講座に参加しているか甚だ疑問に思えた。しかし、そんな素晴らしいプレゼンであるにも関わらず、ダメ出し総攻撃は激しかった。

それもそのハズ、ダメ出し総攻撃こそがこの講座の本命である。

プレゼンテーション、特にプレゼンターは自分のトークのクセやダメなポイントを自分で認識できない。客観的に他社の意見を訊かないと修正出来ないのだ。

そんな中、我がチームのプレゼンは今でも夢に見る程凄惨なもので、緊張のあまり喋っている途中で何と「ゲップ」が出た。ハッキリと、しかも大きな音で。

前列でプレゼンを聞いていた参加者が空かさず「え!?マジ?ゲップしてるやん!」と、その一言をキッカケに会場が一気に爆笑の渦と化した。

チラリとチームメイトを見たが明らかに呆れ顔で、私は結局終始パニックのまま自分のプレゼンを終えた。苛酷極まりないダメ出しを覚悟した。

だが、ダメ出しは覚悟した程苛烈では無かった。企画内容がつまらないといった理由もあっただろうが、何より「ゲップ」というミスに関しては皆ノータッチだった。

 

全チームのプレゼンが終了した後、講師からの総評を経て優秀な企画案を出したチームが発表されたが、我がチームは予想通り最下位に終わった。

しかし、私は何故か”最も優秀なプレゼンター”に選ばれた。

 

「居るんですよねー大した事ない企画なのに勝っちゃう会社。そういう会社にはこんな”飛び道具”を持ってる人が居たりするので、皆さん気を付けてください。」

これが、講師が私に下した総評だった。

 

プレゼン中のミスで放った「ゲップ」が飛び道具…?。後程講師に話を聞きに行った際、ピリピリした会場の空気を一瞬で大きく変え、注目を集めた事が評価されたようだった。

「企画の内容なんて聞いててもつまらないでしょ?大体皆同じ事言ってるワケだし。でもそれを”聞いて”もらうようにするのがプレゼンターの役目なワケじゃん。その点では君が一番注目されたでしょ。」

 

自分が相手に話を聞いてもらうためには当然コチラに意識を向けてもらう事が必要になる。非常に単純で当たり前の話なのだが、相手が1人でも複数でも、この理屈は同じだ。そして、意識をこちらに向けさせるのに難しい技術や理屈は必要ない。簡単な事なのだ。

この体験をしてから、私の「伝えること」に対する意識は大きく変わった。

座学で教わった細かな技法の集大成よりも「ゲップ」一発の方が効果があるように、プレゼンターの技術は「簡単かつ単純」である。

 

  • 注目させる(意識をこちらに向ける)
  • 話を”構成”して自信を以て喋る

 

以上だ。

 

「伝える技術」を身に付ける方法

 

人前で話をするのに緊張しない人はいない。文書やメモと違い、”喋る”という行為の中では伝えなければならない内容を「推敲」出来ない。緊張状態の中では伝達ミスや言い忘れ、言い間違い等のエラーも発生する。1対1の会話なら、伝達内容をお互い確認し合う事も出来るが、集団の中での「発表」ではそれも叶わない。

この【緊張】【伝達エラーに対する恐怖心】こそ、発表が苦手と思われる大きな要因だ。

伝える技術を身に付けるのなら、この2つの要因を取り除けば良い。

 

第一に【緊張】を取り除く方法。

これには大きく3つの対処方法が考えられる。

 

・1つ目は【立って喋る】事。

立つ事によって視点が広くなる。全体が見渡せるようになれば、伝達対象者ばかりを見ずに済むようになる。あまりキョロキョロ視線を動かすと逆に怪しいが、視先を自由にできる事で緊張から多少解放される。

 

・2つ目は【動きを付ける】事。

多少オーバーなリアクションでも構わない。ちょっとした距離なら歩くのもOKだ。身体を自由に動かせる事で、更に緊張から解放され、更に動きによって意識をこちらに向けさせる事も出来る。

 

・3つ目は【大きな声で喋る】事。

自分の声は自分が一番聞いている。小さな声だと自信が無いように自分に聞こえてしまう。そうすると”ネガティブ”な思考が働くようになる。大きな声で話すことによって、自分の発言を自分が信じるように意識をコントロールするのだ。自信は緊張を緩和する絶好の材料だ。更にこちらに意識を向けさせることにも役立つ。

 

勿論これらには”慣れ”も大きく関係する。人前で発表する経験が多ければ多い程緊張しなくなる、所謂「順応」による軽減効果も大きい。発表出来るシーンがあれば積極的に活用したい。尻込みして機を逸するのは勿体ない。

 

第二に【伝達エラーに対する恐怖心】を取り除く方法。

 

これには「事前に話す内容を構成しておく」ことが最も有効だ。国語の授業で習った通り、「起・承・転・結」の順で構成すれば問題ない。例えば、

  • 起:発表しようと思った背景や出来事(目的)
  • 承:今現在の状態や課題(現状)
  • 転:改善案等発表の根幹、発表によって伝えたい事(展開)
  • 結:結果

という流れで構成する事を普段から意識して練習しておくと、1対1での会話でも伝達ミスは減り、コミュニケ―ションがスムーズになる。また、普段から練習しておく事によって急に発言を求められた時などにも効果を発揮する。

これも慣れといえば慣れだが、普段から意識しているのとそうでないのとでは格段に技術的な差が付く。

 

「伝える技術」によって実現できること

 

 プレゼンターとしての技術としては、細かい事を言えば無数にある。その辺りは書籍等にも詳しい情報があり、紹介動画もYoutubeで上がっている。これらを参照して自分の会話技術を磨くことは可能だ。

しかしながら、細かい技術を習得する前に「伝える」事は”技術””技巧”と言える程難しいものではなく、少し意識する事で誰でも簡単に上達するものだという「意識」が大切だ。

先述で紹介したものも、技術というよりは「心構え」に近いものだと思っている。

 

少しの「心構え」を持ち、「伝える」力を伸ばす事で自分の発言に自信が持てるようになる。集団生活をより良く改善するキッカケを作ることも出来る。自分の環境を自分の力でコントロール出来るようになる。

 

「伝える技術」とは、即ち自分に関係する周囲の環境や人間関係を良好に保ち、より”気持ち良く”生活していくための便利なツールなのである。

 

 

 

 

 

「発表」の心構え①

f:id:negatio:20190216102939j:plain


先日、従業員研修の一環として、新人社員数名にテーマを設定して簡単な社内プレゼンを行ってもらった。

 

我が社は途中入社が多い。

”新人”といっても年齢バラバラ、前職での経験値もバラバラなので、人前で発表するスキルも各々異なる。声の大小や間の取り方、しゃべる速度や目線の動き、等々…。

 

私もほんの2年前までは営業職で、大小様々なコンペティションに参加し、プレゼンターを経験した。様々な競合を下し勝利したことは、今でもチームメイト内では最高の酒の肴である。

そんな経験を基に研修の最後で気になった点や企画のまとめ方等のアドバイスを行うのであるが、実際のところ今回は皆優秀だったので技術的に大したアドバイスは出来なかった(する必要がなかった)。

ただ、いくつかの「心構え」は伝えさせてもらった。

 

本稿では自身の経験も踏まえ、複数人が参加する会議やプレゼンで発表する時の「心構え」について2回に分けて整理し、考えてみる。

 

(今更ながら)プレゼンテーションとは

 

言わずもがな、プレゼンとは売り込みたいテーマや商品、企画案について、効果的に説得するための技法のことである。

プレゼンを成功させるためには、前提として商品や企画案が魅力的なものでなくてはならない。なので本当に呻吟しなければならないのは”アウトプット”であるが、苦心して生み出したアウトプットを関係者により良く理解してもらうためには”あと一歩”の努力が必要になる。

それがプレゼンテーション技法であり、これは立派な技術だ。

技術である以上、個人の努力や工夫次第でかなりのレベルまで熟達させることが出来る。

そしてまた、技術である以上生まれながらに「プレゼンが上手い」人間は存在しない。喋るのが上手い=プレゼンが上手い、とはならない。

人前で話をするのが苦手という人は多いが、成長スピードの差はあれ、そういった人でも必ず上達する。

 

苦手意識を以て”伝える技術”を身に付けない場合、様々なシーンで、特に職場などでは”損”をする事になる。基本的に無料で身に付ける事ができる費用対効果が非常に高い技術なので、身に付けないと勿体ない

 

例えば職場でのミーティングの風景を思い出してほしい。

 

今の机の配置を変えたい、暖房の温度を少し下げてほしい、等の個人的な要望があったとする。

この要望には対抗勢力があると仮定して、自分の意見を職場の権限者に聞き入れてほしい場合、自分の意見と対抗勢力の意見を権限者の前で戦わせなければならない。

権限者はより説得力があり、納得できる意見を採用する。

「机の配置が気に入らないので変えて下さい。あと、暖房暑すぎるんですけど。」

と単に伝えた場合、どうだろうか。

もちろん結果は見えている。職場は自分のプライベートスペースではない。共同作業の場である以上、あなたの個人的な意見は通らない。

では、同じ内容の事を伝えるのに、

  • 立って話す
  • 全員の目を順繰りに見ながら訴える
  • 「前置き(課題)」「要望(施策)」「変化後(結果)」で話を構成する

上記のような動作や手順を踏めば、同じ内容でも「重要な事」のように取ってもらえたり、説得力が増すのではないだろうか。

(勿論、正当な理由や根拠がない意見ではいくらプレゼン技術があろうと反対される。ワガママや邪な意見を通す為の技術ではない。)

 

「伝える」技術とは

 

私が今の会社に就職したての頃、途中入社でありながら人前で喋った事と言えば学級内の発表くらいのもので、恥ずかしくも「会議」「ミーティング」等オフィシャルな場で複数人を前にして喋った経験が全く無かった。

顧客の前であれ業者さんとの打ち合わせであれ、私の話はシドロモドロで要点を得ず、ロクに戦力にもなれないのが大変歯がゆく、情けない思いをしていた事を今でも鮮明に覚えている。

入社1年を過ぎた頃、職務内容と技術的な基本事項は大体理解出来るようになっていたが、相変わらず人前で喋る事は苦手で、ただの苦痛でしかなかった。

この状況を打破する為に業界では有名な某「プレゼンテーション実習講座」の参加を決めた。

講座に参加する者は皆プレゼンが苦手だろうから自分でも大丈夫だとタカをくくって参加したが、これが中々の猛者(当時はそう見えた)揃いで、「自分、人前で喋るの苦手なもんで…」なんて言っている隙も無かった。

講座の内容としては、

 

  • 前半:プレゼンテーション技法について座学で学ぶ(約1か月)
  • 後半:全体30名の参加者を5人1チームに編成し、全チーム共通の課題に対して各チーム2週間で企画を考え、企画書を作成する
  • 5人で役割分担し、参加者と講師の前でプレゼンテーションを行う
  • 参加者と講師全員でプレゼンのダメ出しを行う

 

といった内容だった。

役割分担としては企画資料の作成やタイムキーパー、チームリーダー等があったが、私はくじ引きで「プレゼンター」担当となってしまった

並み居る猛者共の前で、猛者共(チームメイト)が作った企画を発表する「プレゼンター」…しかもダメ出し総攻撃が待っている…噂では本当に容赦が無いらしい…。

決まった瞬間は吐き気がしたし、実際帰り道に吐いた。

 

選りによって…とも思ったが、そもそもプレゼン技法を学ぶのが講座に参加した目的なので、プレゼンター経験は最も”美味しい”役割である。

もうやるしかないと腹を括り、前日は寝ずにプレゼンの練習をし、企画書が見えなくなる位にメモを記入し、実践に挑んだ。

 

(「発表」の心構え②に続く)

 

 

職場のフレグランス

3,000文字チャレンジ2回目

 

テーマは「フレグランス」

 

 ふだん職場では「ハラスメント」にビクビクしながら管理職として勤めております。

皆様は「スメルハラスメント」をご存じでしょうか?

有名なハラスメントなので知らない方は少数かと思いますが、改めて定義を確認します。

 

【スメルハラスメント (Smell-Harassment) 】

ハラスメントの一種で、臭いにより周囲を不快にさせる嫌がらせのこと。スメハラと略される。口臭、体臭だけではなく香りの強い柔軟剤などを不快に感じる人も増え、サービス業の就業規則に盛り込まれることもある。
香水や化粧品などのスメルハラスメントについては、「コスメティック・バイオレンス」という別の名称が用いられる場合もある。

 

 れんじつ様々な問題が起きますが、我が社ではまだ、この手の問題は顕在化していません。しかし世の中では結構沢山の方が被害に会われているみたいで….。

 

リサーチプラス「スメルハラスメントに関する調査」によれば、他人の「におい」が気になる頻度について聞いたところ「特に気になることはない(23.3%)」との回答は少なく、8割近い人が他人の「におい」が気になっていることが分かったそうです。

また、不満は「男性の匂い」に集中しており、「会社の上司(男性)(12.8%)」、「会社の同僚(男性)(11.8%)」「夫(8.8%)」という順で男性への不満を感じている人が多いことや、自分の「におい」で最も意識しているのは「口臭」である事も分かっています。

職場では自分の業務の他に色々と注意しなければならない事が沢山あります。例えば従業員のコンディションや勤怠、就労環境、コミュニケ―ション等々…。これに「におい」まで含まれるのですから、生きにくい世の中になったもんだと窮屈に感じる事もしばしば。

世の社会人の皆様は今の状況をどのように感じておられるのか…。

 

 ぐぅの音も出ないほど体臭がキツイ、衛生管理が全く出来ていない人はさておき、本稿では職場に於ける「におい」の問題に関して少し考えてみたいと思います。

 

日本語で「におい」を表す言葉は【匂い】【臭い】【香り】の3つがあります(英語圏では10もの言葉があるそうです)。

 

【匂い】は中立的な表現若しくは好ましい場合の表現で、未だ快不快が判明しない場合や好ましく感じられるもの、趣があるものに対して用いられます。

 

【臭い】は不快なものが対象です。「くさい」とも読むことが出来るように「下水」「ゴミ」「犯罪」など、好ましくないものに用いられます。

 

【香り】は【匂い】と同義で「高級感」が付加されます。また、【におい】という表記には「臭い」「匂い」という2つの意味が考えられますが、「かおり」には悪臭の意味が含まれません。

 

【スメル(Smell)】は元々ニュートラルな言い方であり(単に smell と述べられる場合は、あまり好ましくない臭いを指す傾向がるらしいです)、対応する日本語は【匂い】です。

スメルハラスメントは本来強い悪臭という意味である【スティンク(stink)】を使った「スティンクハラスメント(ステハラ)」が正しい言い方のように思います。

また、【香り】が英語で言う所の【フレグランス(fragrance)】に一番近い表現ではないでしょうか。

 

 らんざつに言葉の整理をしてみましたが、いづれの表現にせよ、「におい」は感じ取った本人が”主観”で決定するものです。「におい」を感じた人が自分の感覚に従って良いか悪いか、あるいは好きか嫌いかを判断し、表現を変えるのです。つまり”基準が無い”ものです。

自分にとっての「香り」は他人にとっての「匂い」若しくは「臭い」であるかもしれません。逆も然りです。

また、「におい」には強弱があります。これは「におい」を感じる人の鼻の性能が大きく関係します。(因みに私は頭が悪い分鼻の性能が少々高めで、結構離れた距離にいる従業員のハンドクリームの”臭い”にも敏感に反応します。そのハンドクリーム、決して「臭い」分類のにおいではないハズなんですが、私は昔から”バラの香り”が苦手です。私にとっては「バラの香り」は「バラの臭い」という表現になります。)

更に問題なのは、人は自分のにおいには鈍感に出来ているところです。

人は日常的にかいでいるにおいには順応してしまい、感じにくくなってしまいます。嗅覚以外の感覚でも順応は起こしますが、特に嗅覚は順応しやすいとされています。それは、危険を察知するためだそう。日常的に感じるにおいは危険とは言えず、危険ではないにおいへの反応を鈍くする一方で、それ以外のにおいへの反応を鋭くしているそうです。これが昨今の「スメハラ」という社会問題の大きな要因となっています。

 

このように、「におい」は感じる人の器官の性能に左右され、人によって快不快の基準が異なり、更に自分の「におい」にも鈍感である性質から、「スメルハラスメント」は非常に解決しにくい問題となっています。個人的には集団生活が基本の現代人にとっては”物理的”には解決不可能だと思われます。

 

 んん~…この悩ましい課題に我々はどう立ち向かうべきなのか…。

それは”普段からのコミュニケーション”にヒントが隠されています。先ほど「自分のにおいに鈍感なのは危険を察知する為の本能」といった説明をしました。という事は、普段からの周囲の人間との密なコミュニケーションで”危険ではない”と認識してもらえれば良いのです。

思い返してみてください。

ものすごく嫌いだ、苦手だと感じている人が発する「におい」に「いい香り」は少なくありませんか?逆に好感を持っている人が発する「におい」は「いい香り」である比率が高くありませんか?(個人的に特定の苦手なにおい(私ならバラ)は別です)

相対的に見れば「におい」は対象との「信頼関係」も大きく関係しています。つまり、普段から努めて周囲と”仲良く”していれば「スメルハラスメント」は発生しないのです。「パワハラ」とも関連しますが、我々は”言い方、伝え方、接し方”を大きく考え直さねばなりません。

 

そしてもう一つ。

 

「におい」を発する自分自身は身体や衣服を清潔に保ち、香りの強いものを身にまとうのを控える事、「におい」を受けとる側は、「におい」が気になった場合相手への伝え方を工夫する事。

朝晩の歯磨きや毎日の入浴は当然の事、喫煙者は紙タバコから電子タバコにシフトして「臭い」を抑えたり、香水や化粧品を使用する場合は化粧品売り場でのスタッフの意見以外にも家族や友人の感想を聞いて、その商品の香りの強弱を判定する事ができます。

口臭や体臭が気になる相手には、まず体調を気にかけている事を伝えてから気になる「臭い」を伝えてあげる方がダメージが軽くなります。「今日身体しんどいの?ちょっと○○のにおいが気になるんやけど…」とか。

香水がキツイ相手には、香水のふり方をそれとなく伝えてあげる等アドバイス形式で「臭い」の修正を試みる事ができます。

 

つまり、【気遣い】なのです。

 

 すべてにおいて、「お互いへの気遣い」が欠けると様々な問題を引き起こします。これば別に「におい」に於いてだけではありません。

言葉にすると簡単ですが、「気遣い」には工夫や努力、マナーの習得、勘所等々様々な要素や技術が必要になります。要は”頑張らなければ”気遣いは為すことが出来ないのです。

我慢したり努力するからこそ「気遣い」は尊ばれ、周囲との環境を『繋がって支えあう』良好なものに変えていくのです。

 

そんなお互いの【気遣い】こそが、職場の【スメル(Smell)】を【フレグランス(fragrance)】に変えるのではないでしょうか。

 

「偶然」の活用

f:id:negatio:20190212162258j:plain

 

先日、ねこひげ先生が運営されている「ココロクエスト」にて、下記の記事を拝読した。

 

www.cocoro-quest.net

 

 この中での一言。

その出会いや出来事の始まりは「偶然だった」かもしれませんが、あなたが「チャンスに変えた」結果なのです。

 

同稿の中ではスタンフォード大学心理学部のジョン・D・クランボルツ教授によって提唱された「計画された偶発性理論」にも触れておられた。

 

 「計画された偶発性」は野田稔先生が書かれた「組織論 再入門」の中でも下記のように取り上げられている。

 

クランボルツは、「人生の重要なことは、ほとんど偶然で決まる。だから、偶然をまず受け入れよ。」という。しかし漠としたものであれ、自らに望むべき方向性があれば、自分にとって都合のいい偶然がより起こりやすいような行動は起こせる。これを称して彼は「Planned Happenstance(計画された偶発性)」と言っている。これが今のキャリア論のスタートだ。(出展元:組織論 再入門:野田稔

 

 大雑把に言うと、自分のキャリアは思った通りにはならないが、大筋の方向性は決めることが出来、その方向性に添った行動を取るようにすれば、望んだ自分に近づく”偶然”は起こりやすくなる。

 

そして、その為の行動指針等は上記記事や書籍でも紹介されているが、概ね下記の通り。

 

  • 好奇心(一定の広がりを意識して興味を持つ対象を広げる)
  • 持続性(こだわりや信念は大切にし、簡単に諦めてはならない)
  • 柔軟性(当初の計画にとらわれず、予想外のチャンスを活かす。ストライクゾーンを広く取る)
  • 楽観性(どんな結果になっても自分にとって役に立つと捉える)
  • 冒険心(積極的に攻める、リスクを取る)

 

つまり、

普段から幅広く色んな事に興味を持つように心がけ、仕事が上手くいかない時でも諦めたりしょげたりしない。社会環境や自分の置かれている状況は刻々と変化するので、キャリアプランはいくつかの可能性を準備しておき、大きな方向性(漠然としたキャリアプラン)に則って自身の環境を変える(チャレンジする)。そうする事で望ましい”偶然”が起きやすくなる。故に望むもの(キャリア)が手に入る可能性が高くなる

といったところだろうか。

 

正しく”もがく”という事

 

自身のキャリアプランを考える上で、「計画された偶発性」という考え方は大いに参考になる。

「絶対宇宙飛行士になる!」といったプランより、

「宇宙科学に携われる仕事がしたい。」と考えた方が断然キャリアを実現出来る可能性は高くなる。

キャリアの広がりを意識した方が活動のバリエーションも増えるし、何より”ツブシ”が利く。

大きな方向性を決めるのが何より難しいと思うが、なりたい職業に就いた先、何を目的に活動したいのかをイメージ出来れば目指すべきキャリアのベクトルを決める事は出来る。

 

しかしながら、上記の行動指針はどれも難易度が高く、簡単には完遂できない。

どの程度まで実行できれば良いのか基準もないし、成功する根拠もない上に時間的な制限もある。これはあくまで可能性の話なのだ。

きっと「運」もかなり必要になるだろう。なにせ相手は「偶然」だ。

やりたい事を仕事に出来る人は少ない。

 

しかし我々に、もし望むキャリアがあるのであれば、簡単に諦めるワケにはいかない。

自分の為にも家族の為にも、試行錯誤し四苦八苦して人生を歩み続けねばならない。

その上では”正しくもがく” という事を知らなければならないと思う。

 

本稿では”正しくもがく”事の1つとして「楽観的」について、ほんの少しだけ考えてみたいと思う。

 

「偶然」を「必然」とするもの

 

例えば…

続きを読む

八百八橋

今回は3,000文字チャレンジに初めてトライします。

 

テーマは「橋」。

 

その昔、大阪は「江戸の八百八町」「京都の八百八寺」と並んで「八百八橋」と呼ばれていたそうです。

しかし当時江戸には350もの橋があったのに対して大阪には200足らず…。なぜ大阪は「八百八橋」なのでしょうか?

答えは”誰が橋を架けたのか”にあります。

江戸の橋は、約350ある橋の半分が公儀橋と呼ばれる幕府が架けた橋でした。

一方の大阪では、公儀橋は「天神橋」「高麗橋」などのわずかに12橋。残りの橋は、全て町人が生活や商売のために架けた「町橋」でした。町橋に対する幕府からの援助はなく、町人たちは自腹を切って橋を架けました。
自腹を切ってでも橋を架けた町人たちのこの勢いが、「浪華の八百八橋」と呼ばれる所以だそうです。(国交省近畿地方整備局より)

なるほど大阪商人。「お上はアテならん。自分らの事は自分らでせなアカン。」といった商人気質が伺えます。

 

私は九州生まれですが、現在大阪に住んでおります。妻は大阪生まれの大阪育ち、生粋の大阪人。私自身もかれこれ25年の大阪生活になりますが、この先大阪を離れる予定はありません。なぜなら私はこの大阪が鬼のように好きだから。

 

特徴的な我らが大阪の文化や風土はテレビ等でよく紹介されております。中でも「厚かましくてうるさい豹ガラのオバチャン」や、「ボケとツッコミがなければ会話が成立しない」「たこ焼き屋が異常に多い」といった所はご存じの方も多いと思います。実際その通りです。高齢なマダムの猛獣率はかなり高いです。

マイナスイメージを持たれている方も多いのでは?

大阪人のイメージと言えば「声が無駄に大きい」「言葉遣いが汚い」「馴れ馴れしい」…等々悪いイメージを挙げればキリがありません。

犯罪件数を例にとってみても、人口1000人中の刑法犯認知率は47都道府県で1位。「殺人・強盗・放火」という凶悪犯においても、いずれも1位と不名誉にも三冠王を達成しています。

そんな大阪が何故これほどまでに好きなのか…。

他府県に転勤を命じられたら迷わず退職を選ぶであろう程、この先独立して事務所を構えるようになったら絶対大阪に作ろうと思う程、大阪という土地を何故これ程までに好きなのか…。

 

答えは「笑いの文化」が深く深く根付いているからに他なりません。

 

 

例えば先日の幹部会議にて。

経営層の厳しい意見や叱咤、指示が飛び交う幹部会議では、我々従業員は戦々恐々としながら会議に挑みます。

そんな重苦しい空気の中、笑いで空気を変えるのは決まって「大阪の営業部長」です。

「何でこんな数字になるんや!言うてた事と違うやないか!説明してみぃ!」

経営層の”厳しい”詰め”に対して、説明する者は毎回しどろもどろです。そんな重い空気を大阪の営業部長は「笑い」で払拭します。自分の会話中に「ボケ」を放り込み、周囲を笑わせます。

「こんな場合に何ふざけとんや!」とは当社ではなりません。

(※時と場合によっては逆鱗に触れます)

笑いによりそれまでの重い雰囲気は一蹴され、参加者がフラットな思考に戻るからです。

厳しい叱咤や指導の後は発言が極端に少なくなり、建設的な意見は出なくなります。そんな状態を笑いで一旦元に戻します。そうすると、その後は怒られたりした事実が無かったかのように会議が進行出来るのです。

 

先月、私の事務所内で。

業務の些細な行き違いで、激しい言い争いに発展した2人の従業員がいました。ひとしきり罵り合った後、一方の従業員からポロリと涙が。すると片方が空かさず、

「あんた…目から鼻水出てるで。」

「目から出てたら鼻水違うやろ!」

この一瞬の典型的な「ボケとツッコミ」で怒り心頭だった両人の険悪な空気は一気に砕け、怒声が笑い声に変わりました。

言い争いを見守っていた周囲の人たちも笑いに参加し、あっという間に部屋全体が和やかな雰囲気に変わりました。

その後はお互いに言い過ぎた事を謝罪、反省点を互いに出して行き違いを改善する話し合いへと変わったのです。

 

上記は典型的な例ではありますが、大阪では大体こんな感じです。笑わせた者が勝者です。若しくは笑った者が勝者です。ここに複雑なルールはありません。立場の上下があろうが関係ありません。

「笑い」の前で我々は平等であり、「笑い」によって我々は繋がれているのです。

 

だからこそ。

 

関西ー特に大阪では「笑い」を重要視します。笑いは我々の重要なコミュニケーションツールなのです。口下手で無口な私でさえ、少ない会話の中でも笑わせる努力は惜しみません。

部下との面談や打ち合わせ、顧客や関係者との商談はたまた子供に説教する場合に於いても、会話の終端(オチ)までの構成を考え、緩急をつけ、ここぞというタイミングでボケを放り込み、相手のツッコミを処理し、最後は笑って会話を終わらせるよう工夫します。相手のボケに対しても寛大な気持ちで、何なら自己増幅して笑うようにします。

 それに、関西人は会話の中で「ボケといツッコミ」を強要しているワケではありません。研究しているのです。

どうしたらこの会話はもっと面白くなるのか、自分ならどのように面白くして他人に伝えるか、どの部分を強調し、オチをどのようにつけたら盛大な笑いがとれるか、といった話の構成を考え、笑いの度合いを見積もっているダケなのです。

声が無駄に大きく聞こえるのも「笑い」の為です。自信無さそうに小声で話をするよりも、声を張って明るく話した方が「面白い」話になりそうな気がしませんか?

 

大阪に観光や出張に来た際は、是非一度試してほしい事があります。

人の集まる場所、例えばショッピングセンターや飲食店、電車内では、耳を澄ませて周囲の声を聴き、観察してみて下さい。いかに会話と笑い声が多いか、という事を体験できます。

決して上品な方言ではありませんが、みな活き活きと会話を楽しみ、遠慮なく笑っている姿をそこかしこに見る事が出来るハズです。それらは如何なく普段培っている「お笑いスキル」を発揮し倒している大阪の生の姿なのです。

 

社会に出て集団生活を行う上では、辛い、悲しい、腹立たしいといった事や、許せない出来事、理不尽な対応等々…人間関係や周囲の状況で発生するネガティブは容赦なく襲ってきます。そんな中我々は「お笑い」の技術を生活や会話の中にブッ込み、辛い状況を一旦キャンセルします。私はこれを「お笑いによるキャンセル(笑キャン)」と呼んでいます。

笑キャンによりネガティブ思考を払拭する事が簡単に、しかも瞬時に可能となるのです。自分1人でボケ→ツッコミ→笑いにつなげる事が出来れば笑キャン上級者です(見た目ヤバい人ですが)。

会社の中でも家庭の中でも、我々は笑いの修業を欠かすことはありません。

特別に誰かに教育されずとも、大阪人は自然と笑いによるコミュニケーション術を身に付けながら成長していきます。なぜなら我々は経験として、そして文化として「お笑い」の便利さと機能を知っているからです。

この土壌の有難味を知ってしまった、体験してしまった今となっては、もう大阪を離れる事は出来ません。高度なスキルで私を笑わせてくれる、又は私の言葉で笑ってくれる同僚や上司、仲間のいない土地で生活するなんて…恐怖でしかありません。

 

そんなお笑いを大事にする我々大阪人は共に笑い、繋がって、支えあう事で辛い出来事に立ち向かい、不便を便利に、不幸を幸せにする事で大阪という町を作り上げてきました。

「お笑い」こそ我々をつなぐ「橋」であり、故に「八百八橋」は今も笑いが絶えないのです。

テレワーク

f:id:negatio:20190208231019j:plain

先日会議で「働き方改革でテレワークの導入が進んでいるが、当社はどうなんだ?」といった話題が出た。

 

立場上テレワーク推進関連のセミナーや研修にはよく参加する。社内でも自分なりにテレワークに必要な機器やネットワーク環境の導入に積極的にトライし、昨年末にモバイルワークに十分に耐える社内環境を構築することが出来た。

ここまでなら正直いって誰にでもできるし、別に特別な知識や機器が必要になる事も無い。

 

問題はここからだ。

 

テレワークのおさらい

 

テレワーク導入の推進は総務省厚労省国交省経産省の4省が連携を取って普及を促進しており、その目的は労働者側の”多様な働き方”に企業が応え、場所や時間を選ばず就労できる環境を構築し、労働参加率を高めると共に労働生産性を向上させるためである。

少子化と人口減少に伴う労働人口の減少、それに伴う我が国の市場規模の縮小を抑制する為、「働いていない人」「働くことが出来ない人」にも様々な【働ける環境】を提供する事で国民の総所得を上げ、「成長と分配の好循環モデル」の実現に資する。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/ichiokusoukatsuyaku/pdf/plan3.pdf#page=1

(ニッポン一億層活躍プラン - 平成28年6月2日 閣議決定

また我々労働者にとっては、出社時間等の労働準備に係る時間を省略、個人あたりの労働生産性が向上し、結果として時間外労働が減少する事しでWBLが充実するというメリットがあり、企業には人件費の節約といった効果も期待できる。

 

導入には特別な機器や多額の設備投資を要せず、企業側で「多様な働き方」を容認し得る規定を整備(これが何より一番大変)すれば、国も企業も労働者も”三方良し”。

 

 働き方改革を推進する中では非常に重要なテーマ、それが「テレワーク」である。

 

しかしながら…

「会社に出社しなくて良ければ、あるいは所定労働時間や長時間労働絶対という設定がなければ全員働けるでしょ?家で空いてる暇な時間を仕事に回せるし。」

といった軽薄な考えが透けて見えそうなテレワークの導入奨励には、自分自身迎合出来なくなりつつある(と言うか元々そんなに肯定的ではなかった)。

 

確かに一部の人はテレワーク環境を利用して労働に参加出来ている。

本来なら休職せざるを得ない場合でも、テレワーク環境が整っているから働けている人達もいる。

何もしなければ…例えばテレワークという働き方を認めなければ、その一部の人たちも労働に参加できなかった可能性があるので、テレワークという考え方を全く意味のないものとして批判したいわけでは無い。便利になるのは良い事だ。

 

一体何に「ちょっと待て」信号が灯っているのか…それは、一般企業を対象としたテレワーク関連の研修やセミナーでは必ず「子育て」「介護」をしながら働く労働者の話が出てくるからだ。

 

今、テレワーク導入で解決できる問題の限界

 

仮に労働参加率の向上を目的としてテレワーク環境を導入するとして、果たして「子育て」「介護」をしながら、どれだけの人が労働に参加出来るのだろうか?

 

昨年、第二児を出産されて育児休業を取られていた女性従業員が退職された。

ウチには時短勤務制度もあるが、それでも退職される理由は下記の通り。

  • 最初の子供は発達障害で、起きている間は常に目が離せない
  • 2人目の子供は保育園が見つかっていない
  • 旦那は海外に転勤しているので、子育ては1人でしなければならない
  • 休職するにしても、どれだけ休めばよいか目途が立たない
  • 自宅で働く?今はそんな時間の余裕は無い

 

今年、60台後半である母親が重い病気に罹ると同時にメンタルヘルス不調となり、その為に退職する予定のスタッフがいる。

退職の理由は下記の通り。

  • 母一人子一人の家庭である
  • 母の病気の面倒は全て私が診ないといけない
  • メンタルヘルス不調による予測できない行動のせいで目が離せない
  • 色々心配で仕事が手につかない
  • 今は仕事が終わって自宅に帰るのも苦痛
  • 自宅で働く?今はそんな時間と精神的余裕は無い

 

育児や介護をされている人達の状況は様々で、個別に日常生活に於ける活動時間や条件が異なる。例え会社に出社せず、所定労働時間を気にせず働ける環境が整っていても、そもそも「働ける状態」でない人は「働けない」のが実情ではないだろうか。

こういった課題は「育児休業」や「介護休業」、ましてや「テレワーク」では解決できない。特に介護に関する課題は終わりが見えない。

上記の例で言えば、母親は障害者でもなければ要介護者でも無いので、公的支援すら及ばない。

 

テレワークといった働き方自体の課題

 

マクロ的には、会社設備や土地等資源の利用を前提とした職務にはそもそもテレワークといった選択肢が無い。

(販売・保安・農林水産・生産工程・輸送/機械運転・建設/採掘・清掃/包装従事者の総数3,120万人 = 労働者全体の約47%)

兼業者や複数の事業所を監督するマネージャー、業務の一部を機械化する事も考えられるので、上記の全ての労働者がテレワークの恩恵に預かることが出来ないわけではないが、乱暴に言うと世の中の半分近くの労働者はテレワーク自体関係ないという事になる。

 

ミクロ的には、特に在宅勤務する場合にテレワーク環境が必要とされるが、家に居ながら提供できる労務にどのくらいの付加価値があるか、それをどう評価して給与を決めるか、といった難しい問題がある。

労基法でも労務の提供基準は「時間」を原則として法律が構成されている。昭和22年から我が国では「時間単位」で労務を提供する事が前提になっており、そのまま現在に至っている。

欧米のように職務や付加価値に対して報酬を支払うといった土壌が育っていないまま在宅勤務できる環境で働かせるのはナンセンスではないのか。

【家で何時間働いているかを見張るシステム】程馬鹿らしいものは無い。

 

また、大企業ならいざ知らず、中小企業では1人が何役もこなしながら業務を遂行している。会社の規模が小さい程、従業員は多能工でないと経営が成り立たない。私生活上で育児や介護等に時間をかけなければならない状態では遂行できる職務の範囲が狭くなり、こなせる役割も少なくなる。

この状態で雇用を継続すると経営に負担がかかるだろうし、多能工でシャニムに働く他の従業員も在宅勤務を選択して特定の業務しかしない従業員には理解を示さないだろう。

待遇に差をつけるという方法になるだろうが、それでは当の労働者の生活の安定が損なわれ、互いに納得が得られなければ労働紛争に発展しかねない。

 

結局テレワークで救われる人とは、時間に囚われず付加価値の高い労働力を提供できる一部の人間であり、またそういったキャリアを積んだ人達だけではないだろうか。

 

「働く事」改革

 

2017年における国内全体のテレワーク導入企業の割合は4.7%と推計されている。

統計上、テレワークを導入する企業は大企業を中心に増えている。

企業は「働きやすい環境」を整える事で労働者を獲得し続けなければ、いずれ消滅してしまう。よって企業は自身の存続のために労働環境に投資をするが、これは決して労働者の生活を守るためではない

我々労働者は自身の責任に於いて与えられた環境を利用し、自分の能力や時間をお金に変えていかなければならない。

環境に適応し、利用するのも大事な「社会人としてのスキル」なのだ。

 

テレワーク一つを取っても、メリットを享受できる者は、今はほんの一握りだ。

もし、これから自分に「介護(もしかしたら育児)」を行う時期が到来した時、「働ける環境」を活用できる能力がなければ労働力をお金に変えることが出来なくなる。

「労働時間」で自分の給与を査定される事”のみ”を良しとしているうちは、これから訪れるであろう「超高齢化」「人口減少」といった大きな課題を抱える社会の中で胸張って生きていく事も難しくなるのではないか…。

 

我々労働者に必要なのは、行政や企業の労働環境改革ではなく、「働く」という事の価値を見直して「自分には何が出来るのか」という事を深く追及し、必要であれば仕事以外で経験や知識を蓄えておくことではないだろうか。

 

テレワークで働いても、労働時間基準ではなく「アウトプット」基準でしっかり報酬が取れるように、これからも自分を磨いていこうと思う。

 

 

 

タイムマネジメントについて

f:id:negatio:20190207143946j:plain

働き方改革が声高に言われ始めてから、同時に「タイムマネジメント」という言葉も良く聞くようになった。

 

当社でも2年前から「時間マネジメント」をテーマに社内研修を実施するようにしているが、参加率は決して高くない。

「時間マネジメント」という字面から、至極初歩的な社会人としての注意事項(例えば「5分前行動」とか「スケジュール帳を持ち歩こう」といった内容)であると想像されているからかもしれない。

勿論、研修の内容はそういった「基本的な注意事項」も含まれるが、「時間をマネジメントする事」の本来の目的や必要性、マネジメントに期待する効果といった部分を重点的に説明する内容で構成している(つもり)。

 

以下、自己チェックとして自社で行う「時間マネジメント」研修内容の構成と概略を振り返る。

 

仕事術1「時間マネジメント」について

 

ⅰ 時間マネジメントの必要性
時間マネジメントは「個人の成長のための必須条件」である

成長を支える条件の1つは「重要なことに集中する事」であり、集中に必要なものは「意思決定」と「時間管理」である。(Peter.F.Druker)

我々労働者の資源は「時間」であるから、投下した時間という資源を最大化することで得られる成果を大きくすることが可能となる(ハズ)。つまり、個人が成果を出せるかどうかは「時間の調整能力」が決定的な役割を果たすという事になる。

ここに時間マネジメントの必要性がある。

 

ⅱ 時間マネジメントとは?

アポイントメントやタスクを整理して、何時に何を行うのか、といった行動を管理するのは一般的に「スケジュール管理」と呼ばれる。これは原則として”約束を守る”為に行われる。

これに対して「時間マネジメント(時間管理)」とは、”時間の使い方”を計画して実行し、時間当たりの生産性を高めることを言う。つまりスケジュール管理と時間マネジメントは全く違う概念であり、ゴールも異なる。

 

ⅲ マネジメントの考え方とその方法
我々の持つ時間という資源は、総理大臣でもビルゲイツでも同じ「1日24時間」。

この限られた時間を上手にマネジメントするには、【時間は有限である事をちゃんと意識し、細切れになった時間をも1まとめにして、最大限投資可能な状態にする】という考え方を持つ必要がある。

 

マネジメントの方法は至ってシンプルであり、上記の考え方を基に

  1. 時間を記録する(自分がどんな活動に時間を消費しているかを可視化する)
  2. 時間を整理する(いらない仕事は捨てたり他人に任せたり、または時間を浪費する原因を探る)
  3. 時間をまとめる(整理して得た自由な時間を可能な限り連続した1つの時間としてまとめる)

という手順を踏む事でマネジメントが可能になる。

(だからスケジュール帳やGoogleカレンダーを有効に活用しようゼ!)

 

ⅳ 時間を”作る”という事とその方法 

仕事の進め方や生活習慣を見直すことで無駄な時間を省いていくことが、結果として時間を得ることに繋がる。

例えば、下記のような状態を見直すことで無駄が省ける。

 

◆習慣に起因する無駄の発生源

  • 朝ぎりぎりに出社する → 朝のゴールデンタイムを有効に使う
  • 就寝時間/起床時間がバラバラ → 体調のムラをなくし、ベストコンディションを保つように
  • ちゃんと休憩をとらない(PCや資料を見ながら昼食をとる) → ちゃんと疲取ることで午後からの仕事の効率も上がる
  • 完璧主義 → 8割を最低限の時間でアウトプットする事を心がける
  • うっかりミスを連発する → 書き留める習慣をつけてウッカリをなくす
  • 怒られたら落ち込み方がハンパない → 落ち込み時間は仕事の効率が悪い。自分なりの気晴し方法を見つけて即効リフレッシュを

◆段取りに起因する無駄の発生源

  • 周囲からの頼みごとを断れない → 優先順位を決めて仕事をする
  • メールは即返信する → 返信する時間を決めて、まとめて処理する

◆環境に起因する無駄の発生源

  • PCのデスクトップがトっ散らかっている → 整理して情報検索しやすいように
  • 書類やデータは念のため、とりあえず取っておくようにしている → 1年前のものは捨てる。どうせ使わない

◆コミュニケーション不足に起因する無駄の発生源

  • 覚えの悪い後輩にはついついキツく当たってしまう → 丁寧な指導がいずれチームの生産効率を上げる
  • 「報告が足りない」と上司によく注意される → ホウレンソウの見直しで注意される時間を省く
  • 職場ではほとんど雑談しない → 仲間意識の醸成がチームの結束力を高め相互援助作用が生まれる

 

タイムマネジメント」は見方が変われば目的も変わる

 

 

時間マネジメントを仕事術の一環として見ると、「段取り良く効率良く仕事をこなして空き時間を作り、もっと沢山の仕事が出来るようにする」という捉え方になる。上記研修もそのような見方で構成している(なにせ社内研修なので)。

確かにアウトプットが多く、質も合格なら優秀(所定労働時間内での話)な社員であり、経験値も多く稼ぐだろうから出世も早いかもしれない。

しかしこれでは「従業員」の域を出ないのではないか、と思う。

タイムマネジメント」は技術ではなく概念であり、もっと精神論に寄ったほうが個人的には納得感がある。

 

私が考えるタイムマネジメントの意義はこうだ。

 

「自分を変えたいなら時間の使い方を変えれば良い」

 

人間の習慣は日々の習慣から生まれ、日々の習慣は”時間の使い方”から生まれる。従って自分を変えたいなら日々の時間の使い方を変えることで可能になる(行動心理学より)。

自分はこれからどんな人生を歩みたいのか、その為にはどんな事にどれだけの時間を使わなければならないのか、といった目標があり、その目標に沿って日々の生活で消費する時間をコントロールする。これが「タイムマネジメント」の本質ではなかろうか。

 

時間をマネジメントするのに本当に必要となるものは「目標」、「勇気」、「ワガママ」であると私は考えている。

 この「目標・勇気・ワガママ」が、所属する企業のベクトルと合えば個人の能力は如何なく発揮され、使用者被用者共にWinWinの関係になれると信じている。

 

タイムマネジメントは自分の未来マネジメントであり、ひいては自身のキャリアマネジメントである。これからの社会の荒波を泳ぎ切らなければならない我々労働者にとっては最重要課題の一つなのである。(なのでコレ系の研修には皆さん参加しましょうね。)